[ブックレビュー]3.11を心に刻んで2019


異なる世代に対する定番の質問の一つに「人生の中で衝撃を受けた出来事は?」というものがある。

私も先日,高2の生徒に対してふと、、この質問を投げかけてしまった。
2002年生まれの彼がなんと答えたかここでは伏せておくことにするが,私にとって最も大きな出来事はやはり2011年3月11日のあの震災だろう。

直接的な被災者ではない私に当時の衝撃を語る資格があるのかどうかは甚だ疑問であるが,それでもやはり私の人生観を大きく変えた出来事であったことは間違いない。

2019年の現在に到るまで,震災関連書籍は数多く出版されており,その内容も様々である。
本書は岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」内で毎月11日更新で連載されている同名の記事を一年ごとにまとめたものである。

2019年版の本書は2018年3月11日〜2019年2月11日までに更新された記事と,河北新報社によるレポート,「3.11を考えるためのブックガイド」が収録されており,それぞれの記事を寄稿している著者も,そのスタイルもジャンルも様々である。

 

「死の先を、僕は知らない」

それぞれの記事にそれぞれ訴えかけてくる力があり,読み進める中でさまざまな感情が湧き上がってくるが,中でも震災で実の母を失ったフォトジャーナリスト佐藤慧氏の,震災から5年後に亡くなった父親を偲ぶ言葉が私の胸に響いている。

死の先を、僕は知らない。けれど、死が全てを分かつわけではないと、父から教わったように思う。

私たちは自らの死を前もって経験することはできない。死に際して私たちにできることは愛する人の死をただ悼み,思いを馳せることだけである。しかしそれこそが,生者としての私たちにできる唯一のことだろう。
愛する人の死に際して何を思い,その後の生をどう過ごすか。
「他者の死を生かす」とは傲慢な考え方に感じるが,彼らが私たちに与えてくれる教訓も数多くあるだろう。

時は多くの物事を解決し,多くの経験を忘却の彼方へ運んでいくものである。
その暴力的な時の流れの中で,私たちは忘れてはならないものを記憶に刻み,度々その記憶を呼び起こすことが必要だろう。

本書に寄せられた様々なエッセイを通して,そして様々な震災関連書籍に触れる中で常にそう感じさせられる。

*佐藤慧氏の共著『ファインダー越しの3.11』に詳しい。震災直後の現地で目の前に広がっていた世界と彼らの葛藤が写真と文章で綴られている。こちらも一読をお薦めする一冊。

ファインダー越しの3.11 / 安田菜津紀 【本】

※本記事はプロモーションを含む場合があります。

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