「食×伝統×ファッション」で日本の良いものを広めたい

当たり前のように「受験」を捉えてしまいがちな昨今、ちょっと立ち止まって多様な生き方の可能性、様々な選択肢がある中で「受験」という道を選んだ意味を考えたい。
そんな思いから始動した”Educational Lounge×Career Compass”では、様々な業界でチャレンジを続けている方に、これまでの人生を振り返っていただきます。

第3回は、都内で伊勢海老メインの創作鉄板ビストロ/レストランバー「眞か」(中目黒)・伊勢海老蕎麦「清正」(池尻大橋)・伊勢海老囲炉裏割烹「呂者堂」(銀座)を運営している、株式会社FIREWORK代表取締役の伊藤大輔さんにお聞きしました。
(取材日:2021年12月16日)

伊藤大輔(いとうだいすけ)
株式会社FIREWORK代表取締役
1984年9月18日生まれ。中央大学文学部社会情報学科卒業後、株式会社デイトナ・インターナショナルに入社。セレクトショップのSTUDIOUS(ステュディオス/現TOKYO BASE)に携わる。退社後、バーでのアルバイトリーダーを経て2016年3月に株式会社FIREWORKを創業、7月に東京・中目黒に伊勢海老をメインにした第一号店「眞か」をオープン。その後、2018年5月に東京都目黒区大橋に伊勢海老和食店「伊勢海老蕎麦 清正」、2019年11月に伊勢海老囲炉裏割烹「呂者堂」を銀座に出店。現在も現場に立ち続ける。

「反骨精神」から、大学卒業と同時にアパレルベンチャーへ

――大学卒業後はアパレル業界にいらっしゃったそうですね。
伊藤さん(以下「伊藤」):当時は株式会社デイトナ・インターナショナルの1事業部だったSTUDIOUS が、アパレルベンチャーという形で上場を目指していくプロジェクトに新卒で参画しました。

大学がいわゆるIT・メディア関連の学科だったこともあり、周囲は広告大手の代理店に就職したり、キー局に就職したりしていました。自分もそのまま進んでいれば全然違うキャリアを積んでいたと思いますし、世の中の流れとしてはそれも正解だとは思うんですけど、「反骨精神」のようなものがそこで現れて、アパレルに就職しました。

これを「挑戦」と言えばかっこよく聞こえるかもしれませんが、どこか「人と違うことをやりたい」という思いが根底にあったんです。当然、人と違う道を進むことに対しての不安もありますが、気持ちが溢れたときに、真逆の人生を歩む感じです。

ただ、昔からそういう性格だったというわけではなく、大学までは一般的に「こういうキャリアを積んでいくと良い」というキャリアを、何か葛藤しながら進んでったような感じでした。両親とも金融関係の仕事をしていたこともあり、高校あたりからはいわゆる「良い企業」に就職しようという空気もありました。そう考えると、レールに半分乗りながら、半分は足を出してるような青春時代を過ごしていましたね。

そのようにして、大学までは結構うまく生きてきていたので、「もっと泥臭く生きたい」「大学を卒業して就職するときには一気にエンジンをかけたい」と思っていました。

とはいえ、やはり周りの環境や人の影響は大きいもので、就職活動では一通り広告系とか、IT系も受けてそれなりに内定もいただいてはいました。ただ、そこで「やっぱり大手に就職するのが良いでしょう」という空気にカチンときてしまって。そこで、内定をいただいていた中でも当時は知名度がなくて、「不採算店舗を黒字化させよう」というプロジェクトに入っていきました。

――前職時代の印象深い出来事を振り返っていただけますか?
伊藤:一番最初、サロンモデルの雑誌で一番人気の男の子に社長が声をかけました。彼が着たものがものすごくヒットしていたんですね。でも、これは自分たちがやりたいと思っていたこととは全く違っていたんです。自分たちとしては今まで日本のファッションブランド牽引してきたようなブランドと取引をしたかったのですが、まずは自分たちが認められなければ、結局かっこいいことを言ったとしても続けられなければ意味がない。まずはそういう形で振り切って、会社にしっかりとした基盤ができてから徐々にブランドイメージを移行していきました。

その経験は今の業界に移ってもかなり生きていると思います。

一般的に「正解」だと言われていることが全く通用しなかったりしますし、意外なことが成果に結びつくこともすごくあるので、目の前の課題に対していかにスピードを持って向き合っていけるか、まずは売り上げを作るためにどうするか、そういうところからスタートしましたね。

眞か1F カウンター席

スピードで言えば、僕は上場も決まって一段落して退社したのですが、立ち上げメンバーだったのでストックオプション(編注:株式会社の従業員などが、自社株をあらかじめ定められた価格で取得できる権利)などの話も当然ありました。ただ、株を売るまでの期間が何年かあるので、「その期間を待つ間に心変わりするかもしれない」「思い立ったときにやらないと」という思いから、まとまったお金もなしで、もう本当にゼロからスタートしました。経営者の先輩をはじめ、いろいろな人から「ありえない」と言われますが、むしろ僕としてはそれがすごく良かったと思っています。

立ち上げたときにまとまったお金があれば業者を使うであろうところも、できることは全て自分たちで進めていきました。お金をほぼかけずにアイディアでその部分をカバーできるし、それが結果的に自分たちのオリジナルの戦法になる、そういう空気感を立ち上げメンバーに共有できたというのはかなり大きいと思います。今でも壁を塗ったり、直せるところは直したり、自分たちでできるようなことは自分たちでやっています。当然経費管理も徹底的にやりますし、無駄にすることなくしっかり事業に投資していくことが、お客様のためにも取引先さんのためにも、自分たちのためににもなります。

あの経験がなかったらきっと今の自分はありません。

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「チャンスなんて一瞬だと思っていたので、もうこの話が来たときにはすぐに『やろう』と決めていました」

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