乃木さん(沖田注:乃木希典)は…三十五年の間死のう死のうと思つて、死ぬ機会を待つていたらしいのです。私はそういう人にとって生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいかねどっちが苦しいだろうと考えました。それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。

(「先生と遺書」五十六)

という決意を述べる。この一連の有名な箇所に見られる「先生」の「淋しさ」とは、「個人主義の淋しさ」である。これはすでに上巻「先生と私」七」で述べられていた。

かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。

(「先生と私」十四)

この先生の「淋しさ」についての言葉を当時の「私」は、「いうべき言葉を知らなかった」(「先生と私」十四)のであるが、「現在の私」は、「精神的同族」(越智治雄『漱石私論』)として実体験しているのである。その結果、「個人主義の淋しさ」は世代を超えて普遍化されたのである。このことによってこそ、前章で述べた「語り」による本編構成の意図が果たされていると考えられるのである。

 

『私の個人主義』や『現代日本の開化』に見る「淋しさ」

夏目漱石が表現したかった「淋しさ」は、『私の個人主義』や『現代日本の開化』にも詳しい。

文明開化によって「個人が解放され、新たに自由競争を生み、激しい生活欲を生み出した。

我は我の行くべき道を勝手に行く丈で、さうして是と同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。其処が淋しいのです。

(『私の個人主義』)

「開化が進めば進む程競争が益々劇しくなつて生活は愈々困難になるやうな気がする」「生存競争から生ずる不安や努力に至つては決して昔より楽になつてゐない」という「開化の産んだ一大パラドクス」(『現代日本の開化』)である。この「個人主義」や「自己本位」という新しい概念によって、人々が結局「淋しい人間」にならざるをえないのである。このことを、夏目漱石は小説『こころ』全編で表現したのである。


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