大企業の安定を捨てた先に出会った「天職」――Career Compass

当たり前のように「受験」を捉えてしまいがちな昨今、ちょっと立ち止まって多様な生き方の可能性、様々な選択肢がある中で「受験」という道を選んだ意味を考えたい。

そんな思いから始動した新企画"Educational Lounge × Career Compass"では、様々な業界でチャレンジを続けている方に、これまでの人生を振り返っていただきます。

第1回は株式会社ファイナンス・クレジット営業本部長の島貫翔伍さんです。

島貫翔伍(しまぬきしょうご)
1991年9月21日生まれ。千葉県出身。
株式会社ファイナンス・クレジット営業本部長。
高校3年時に所属していた千葉県立八千代高校サッカー部が全国大会に出場し、1月3日まで部活を続けながら現役で明治大学商学部に進学。卒業後は大手メーカーに営業マンとして勤務したのち、フルコミッションの生命保険会社に転職。
初年度から新入社員の営業成績(個人部門)で全国TOP10入りし、営業所の成績ランキング全国一位に大きく貢献する。2年目には全世界の生命保険・金融サービス専門職のトップクラスのメンバーだけで構成されるMDRT会員に。
2020年10月より現職。
(注)フルコミッション……仕事の成果に応じて賃金が支払われる、完全歩合制の給与形態。

 

常に部活をしているか勉強しているかという高校時代でした。

――まずは高校時代のお話からお聞かせください。全国大会に出場しながら、その年に一般受験で明治大学合格。当時の生活を振り返っていただけますか?

島貫さん(以下「島貫」):高校入学当初からサッカー部でした。

サッカーと勉強を見事に両立していた高校時代

自主性を重んじる学校だったので、朝練も居残りもやらされることは一切なかったものの、僕はモチベーションが高い良い仲間たちに恵まれていたので、平日は毎朝7時20分ぐらいにはグラウンドにいたと思います。たしか5時50分とかのバスに乗って、7時20分ぐらいにグラウンドで蹴り始めて、小一時間、8時15分ぐらいまで朝練して、着替えて授業を受ける。

放課後の全体練習は16時-18時の2時間と決まっていて、その後また居残り練習を19時くらいまでやって、19時30分ぐらいから学校近くの予備校で授業を受け、22時30分くらいに家に着いて、23時30分とか0時くらいに寝る……という日々が続きました。
土日も当然部活はあって、今振り返ると常に部活をしているか勉強しているかというという高校時代でした。
我ながらストイックな生活をしていたと思います。

 

――気を抜く時間はないですよね。

島貫:そうですね。特に高校3年生の1年間は本当に部活と勉強ばっかりで、気を抜く時間はなかったですね。

全国大会に出場したときは、僕らが負けたのが2010年の1月3日で、それまで部活と勉強の二刀流生活を真剣に続けていました。
基本的には夏のインターハイの後に、サッカーを続けるかどうか選ぶ形になるのですが、当時の僕は現役で志望大に行きたいという思いがあったので、正直悩みました。

でも、仲の良かった先輩から「多分続けたほうが後悔しないと思うし、やり切ったほうが良い」と言われて、「最後までやり切ろう、でも現役合格も果たそう」と決意しました。

今振り返ってみても、推薦ならともかく一般受験を考えている人間であの時期までやり通したのはそこそこ珍しいパターンだと思います。

 

「なぜ日本一になれたのか」を掘り返して語っていきました。

――大学時代もサッカーは続けていたのですか?

島貫:準体育会とでも言うような「体同連サッカー部」というところに4年間所属していました。日本代表に選ばれていた先輩などもいるようなところで、僕たちが大学3・4年生の時は年間のどれかの大会で必ず同好会日本一になるチームだったので、就職活動の際はよくその話をしていました。

 

――やはり就職活動では大学時代の取り組みも聞かれることがあるのですね。

島貫:ありますね。

大概そういう時になると副キャプテンが増えるんですよ(笑)。「キャプテンって言うとキャプテンに申し訳ないけど、副キャプテンなら別に良い」みたいな風潮があって、副キャプテンが増えるんです。

明治大学在学中

でも僕は幸いなことに「日本一になった」というわかりやすい結果があったので、「なぜ日本一になれたのか」ということを掘り返して、そのプロセスを淡々と語っていきました。

たしかESを出したのが50社くらいで、面接に進んだのが45社くらい、内定をもらえたのは3社でした。
メーカーばっかり受けていました。メーカーは激戦だと言われていましたが、街で身近にあって、自分が売るものがわかりやすいという点に惹かれて。
先輩からの流れもありましたし、今思えばまだまだ保守的な、一般的なサラリーマンとしての人生を歩もうとしていましたね。

 

――メーカー時代はどのようなお仕事をされていたのですか?

島貫:法人営業で、東京都の港区を担当していました。

メーカー勤務時代

大きい会社からSOHOのような比較的小さめの会社まで、事業所に訪問して他社製品から自社製品への乗り換えを勧めたり、逆に他社への乗り換えを防いだりしていました。

1日に3、4社は営業で回っていましたが、逆に言えばそれくらいしか回っていなかったですね。
もっと回っている人はいましたし、会社からも回れという指示はありましたが、求められている数を回ろうとすると意味のある対面活動をするのは不可能だと思っていて、僕は「ただ単純にお客さんのところに行って仲良くはなるけれどそんなに売れない」みたいな感じでした。

僕がいた会社は良くも悪くも年功序列的なところがあって、何となく普通に仕事していれば順調に昇進していく感じが強かったので、僕も含めて保守的、安定志向な人たちが多かった印象があります。
頑張っても頑張らなくても変わらないから頑張れない、そんな風に思っていた社員の一人でした。

 

「自分にできるプロの世界はどこなのだろう」と考えるように

――そんな安定した環境から、フルコミッションの世界に飛び込んだ転機はどのようなものだったのでしょうか。

島貫:一つは、高校からの帰り道が一緒だったという理由から今でも仲の良い、高校時代のサッカー部のキャプテンの存在です。
僕がメーカー4年目、最後のときくらいに彼が日本代表に選出されました。

そんな時でも友人としていつも通り食事に行っていたのですが、話す内容、話し口、立ち居振る舞いといったあらゆる面で彼に貫禄が出てきたのを感じていました。そんな彼を見て「憧れ」ではなく、仲が良かったがために「負けたくない」と思うようになっていました。

それからは、彼にそうした貫禄が出てきた理由をずっと考えて、僕の中で出た答えは「『活躍できなきゃ生活できない』世界で活躍し続けているから、きっとこんな姿になってきたのだろう」ということでした。要はプロの世界の中で、それも第一線で頑張っているからだと。

翻って自分はどうなのだろうと考えた時に、「たしかに世の中的には見栄えの良い大企業にはいるものの、何となく営業して、何となくの成績で、何となく退社したら飲みに行くような、そんな生活の先に彼に勝っている自分は多分いない」と気づかされました。
そのとき初めて、「自分にできるプロの世界はどこなのだろう」と考えるようになりましたね。

顧客の前で紙の向きを変えずに書く「逆さ文字」

そんなときに偶然、保険の担当者から電話があって、「最近仕事どう? ヘッドハンティングの電話なんだけど」と。
これが全ての始まりでした。

実は父は僕が高校1年生の時に舌癌を患っていたんです。

会社も休んで抗癌剤治療だとか入退院を繰り返していて、それでいて治療の副作用に悩まされている。
そして夜に僕が帰宅したときに「翔伍今までありがとうな」と泣き始める。
そんな父の姿を見ているのが辛かったのをよく覚えています。
癌はその人の身体だけではなく、精神面も壊していくのだというのをまざまざと見せつけられました。

また、僕たち家族にとってもそういう大病は初めての出来事でした。
僕の母は兄二人も含めて男三人兄弟を育てたいわゆる「肝っ玉母ちゃん」で何事にも動じない人だったのですが、そんな母が夜すすり泣いているのを初めて見たのもこの時です。
それくらい大きな出来事が目の前で起きているのだと高校生ながら感じていました。

そんな家族をある面では支えてくれていたのが生命保険だったと大人になってから知ったのも大きかったと思います。
母親からも「あなたの大学の入学金はそのときの保険金から出ている部分があるんだよ」と教えてもらって。

だから、ヘッドハンティングされた時にはすでに、僕の中で生命保険に対して悪いイメージがなかったというのも保険業界に転職を決めた大きな理由の一つでした。

要は、もともと生命保険に対するネガティブな印象がなかったこと、僕の周りにプロで頑張っている人間が偶然いたこと、そしてそんなときに電話があったということが転機ですね。

 

――ヘッドハンティングされて転職なさって以降のご活躍は目を見張るものがありますが、前職時代を振り返っていただけますか?

島貫:声をかけてくれたのが僕の配属された営業所の所長にあたる人物なのですが、彼は僕が前職で大した業績も上げていないことを知っており、「明るくて気持ちのいい人間」という理由だけで採用した、いわゆる「ギャンブル採用」と言っていました(笑)。

前職時代、成績優秀者の表彰式にて

僕のいた営業所には全く同月入社のライバルがいて、自分で言うことではないかもしれないですが「切磋琢磨」という言葉が本当に似合うような関係でした。毎年、新入社員の営業成績の全国ランキングがあるのですが、僕たち二人は常にTOP10の中で争っているような。同じ営業所の同月入社が二人ともTOP10入りしているというのはかなり珍しいことだったようです。
同じ年に営業所部門では僕がいた営業所が全国一位になったのですが、二人で切磋琢磨しながら日本一に大きく寄与できた自信があります。

また、前職時代の思い出としては社内教育用の映像教材のモデルに抜擢していただいたのも印象深いですね。新入社員の若い人たちが見てくれていたみたいです。

ヘッドハンティングから始まった保険業界での人生ですが、今後も保険業界から去ることはないと思います。新しいことをやるとしてもプラスオンで。
そう考えると本当に人生の転機でした。

 

業界の現状を変えたかった

――やりがいも楽しさも感じるような、居心地の良い職場という印象を受けますが、島貫さんはそこからさらに転職を決意されましたよね。その辺りのきっかけや心境をお聞かせいただけますか。

島貫:なかなか辞めないですよね(笑)。

ある時、僕を応援してくださるお客様から紹介していただいたのが今の社長でした。
最初に会った時に「今代理店でやっているんだけど独立しようと思っている」というような話を聞きました。

実は前職時代の2年半の間で同じように代理店に誘われたのはこれとは別に三度あったのですが、大抵「うちに来ればこんな商品扱えるよ」とか「こういう条件で働けるよ」とか、そんな感じの話で誘われました。
でも、僕はもともと自分がいた会社の商品が悪いと思っていなかったですし、商品そのもの以上に「なぜ保険をお勧めするのか」という概念的な部分に重きを置いていたので、そういった誘いには全く惹かれませんでした。

ただ、今回は会社のビジョンや「将来どのようにしていきたいか」という部分に惹かれました。もともと僕が抱いていた思いと共鳴するところがあったのですね。

前職時代の2年半の間で、少なくとも半分以上の同期が退職しました。
これはある程度仕方のない部分で、それまでの固定給からいきなりフルコミッションという世界に変わるので、誰もが簡単に生きていけるわけではないんです。とはいえ、その去っていった人たちにも「シングルマザーでこれからの人生を変えて行かなきゃいけない」「家族を守らなくてはいけない」「プロとしてチャレンジしたい」というような思いや物凄い覚悟を持ってやってきた人だったり、非常に面白い人だったりもたくさんいます。
そんな人たちがこの業界にネガティブな印象を持って去ってしまうのが現状です。

そして、そんな人たちもはじめは親とか兄弟や友達といった、自分にとって大切な方々がお客様になってくださっていっているわけです。そして、その大切な方々の大切な方々をご紹介いただいて、会社よりもその人間を信用してお金を預けていただいている。その方たちからしても「半年で辞めちゃったのか」「一年で辞めたのか」と残念に思うのではないかとずっと考えていました。
そもそも、この業界はお客様が増えれば増えるほど辞めづらくなるはずなんですよ。お預かりする額もどんどん大きくなっていき続けますし、商品も何年も続くものですから。そう簡単に辞めてはならない業界だと思います。

それに、業界から去っていってしまう人たちも、大抵がお客様の前に座って保険のお話しするとか楽しくお話しするというのはできる人たちなのに、目の前にお客様がいないというのがきっかけで離れていってしまうことが多いと思うんです。
そんな現状を変えたいと思っていました。

そのためには、今ある代理店に入って仕組みを変えるというよりも、新しい代理店から作り上げるほうがやりがいがあるのではないかと思っていたのですが、この会社の社長は、僕がそういう話をする前から同じ考えを持っていたので、じゃあ一緒にチャレンジしてみようと。

 

ずっと考えているのは「業界変革」です

――今の仕事で一番大切にしていることは何ですか?

島貫:この業界に足を踏み入れて以来ずっと考えているのは「業界変革」です。
まずはこの会社をお客様にとっても、保険マンにとっても優しい会社にしていきたい、その仕組みを作っていきたいと思っています。
これから入ってくるかもしれない人たちに、この仕事は楽しい、長く続けたいと思ってもらえるような業界に少しずつ変えていきたいと思っています。

それに、ネガティブなイメージがついてまわってしまっている現状を少しでも変えていきたいですね。
日本は保険大国にもかかわらず、保険に対するイメージがまだまだ良いとは言えないんです。
まだまだネガティブな印象をお持ちの方は山ほどいらっしゃると思うので、そのような方々のイメージを少しずつ変えていけるように、「入らされた」や「なんで入ったんだっけ」と感じる方がいなくなるようにしていきたいと思っています。

生々しい話、生活を考えたら契約数ももちろん大切ではあるのですが、僕はそれ以上に多くの方々とお話しさせていただくということの方が遥かに重要だと考えているので、仮に保険契約が決まらなかったとしても「この話を聞いて良かった」と思っていただけるようなお話をしようと心がけています。

 

とにかく遊んで、とにかく勉強して、いろんな経験をしてほしい

――最後に、受験生や大学生など「若者たち」に向けて一言お願いいたします。

島貫:思いっきり遊ぶか、思いっきり勉強するか、振り切ってください。
やっぱり中途半端が一番良くないですよね。

これからの時代は何かに尖っている人の方が求められるような気がしているので、とにかく遊んで、とにかく勉強して、いろんな経験をしてほしいですね。

また、家族や友人といった自分の身近にいる人たちを大切にしてください。

僕は身近な人たちに生き方を教えてもらい、人生を変えてもらいました。大切な人たちとの過ごし方はいずれ人生の通知表となって必ず自分に跳ね返ってきます。自分にとってどうでも良いと感じる人に気を遣うのではなく、身近な人にこそ謙虚に丁寧に接して欲しいと思います。

株式会社ファイナンス・クレジット
2020年創業。
一人一人の真の意向・ニーズに合わせて最善の保険会社を提案する、生命保険・損害保険を取り扱う総合保険代理店。
〒105-0013 東京都港区浜松町2丁目1-12 VORT浜松町III 3F
TEL:03-6435-6626
Email : info@fcredit.co.jp


Educational Lounge × Career Compass
第1回 大手企業の安定を捨てた先に出会った「天職」

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