今が一番良い。今が良ければ全てが正解になっていく


――引退してからYouTubeにたどり着くまではどのような?

MG:エイサーって基本ボランティアさ。地域のことやるさ。会長をしていた時、ボランティアで100名ぐらいの組織を作り上げていたんだから、「こんなに人集め切れるなら、自分で仕事をやった方が早いんじゃないか」と思って、名刺を作ってばら撒いて仕事を受注し、同級生の職人たちを引き抜いて、鳶の仕事をしていたのが20代のころ。ただ、これは腰のヘルニアが原因で辞めて、もともとやりたいと思っていた居酒屋を中心に飲食店を経営することにしたのね。これはなかなか順調に売り上げが上がっていって、最盛期は5店舗ほど出したかなぁ。

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この時期は何もせずにお金が入ってきていたので、自分は大した努力もせずに遊んだりしていた。今の自分はこれを「魔の30代」だと思っているんだけど、当時の自分でも薄々「これはまずいな」と思っていた矢先、案の定、お店を任せていた従業員たちにお金を盗まれるなど、いわば「裏切り」が発覚していて。5店舗あった店舗がどんどん潰れていき、1店舗だけに。とはいえ、そこは10年やっていたし、店長のことも信頼していたので、まぁ大丈夫だろうと高を括っていて……。

ところがよ、ある日そのお店の従業員の子から電話がかかってきた。「店長からお金をもらっていません」と。青天の霹靂。信用していた、絶対に安泰だと思っていたお店がこうだったから。でもそこで全てを失うのは悔しかったし、「これではいけない」「最後の店舗まで潰すわけにはいかない」と思って、従業員に謝罪して、「もし残ってくれるなら俺頑張るよ」と言って、自分自身で店舗に立つようになった。
とはいえ、キャリアが全くないので試行錯誤の連続。そうこうしているうちに、隣町の知り合いが、YouTubeをやっていると聞いて。しかもその動画を見たら、なんか飲屋街の清掃とかやっている。これだと。

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まず自分のお店が入っているビルの各店舗のオーナーさんからお金集めて、ビルを全て掃除する。で、このYouTuberを呼んで、掃除している様子を動画で流してもらったの。そうしたら結構反響が良くて、「自分でYouTubeやった方がいいよ」とも言われるようになってきて。最初は宣伝のためにやったYouTubeだったけれど、撮ってみたら楽しかったし、編集できるという知り合いもいたから、自分でもYouTubeやろうかなぁと思うようになってきた。
そうこうしているうちに、「面白い奴がいるからそいつと動画をあげてほしい」と成人式に呼ばれて。そのときに、いろんな機材を100万くらいで買い集めて、いろんなYouTuberに撮られながら、自分もカメラを回してみたっていうのが最初。

――そこからここまで続くと思っていましたか?
MG:思わんさ。今まで仕事4年続けたこともなかったし。

楽しかったのもあるし、YouTubeって敵作らんわけよ。外のお店を宣伝して、そこにお客さんがきて。他のお店とお客さんの取り合いをするわけじゃない。みんながwin-winになれるから。そこら辺はとってもいいなって。

あとはいろんなことも発信できるさ。そこで、仮に収益はなくてもいろんな繋がりができる。自分はもともと地元の中だけで生活している人間だったから。

そんなこんなであっという間にこんな歳。でも今が一番いいね。沖縄の言葉で「そーいらんぬー」って言うんだけど、「学習しない人」って意味で。実際自分は学習しない男なんだけど、今思えば魔の30代も振り返ってみれば、良かったんかもね。今が良ければ全てが正解になっていくさね。

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9個のマスに自分をを含めてさまざまな人を当てこんでいく

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