「箱根駅伝を目指すのが当然」の空気の中で過ごした大学時代


――その大学時代について教えてください。

上原:大学でも四六時中ずっと陸上競技ばかりでした。

亜細亜大学の陸上競技部は一応「陸上競技部」なのですが、長距離部門しか存在しておらず、当時は箱根駅伝を目指すというのが当然の空気でした。
陸上部に所属する部員は全員寮生活で、練習よりも寮生活の方が厳しかったです。1年生の間に4年分働くような感じで……辞めてしまう人も結構いました。でも、あの寮生活があったおかげでメンタルは本当に強くなりましたね。

――上原さんにとって箱根駅伝はどんな存在でしたか?
上原:沖縄では箱根駅伝の放送はやっていません。それでも、「箱根を走ったらすごいんだよ」という話は聞いていました。だから箱根駅伝に対する憧れはあって、箱根で走るために亜細亜大学に進学したようなものでした

結局、大学4年間のうちチームは箱根駅伝に3年続けて出場しましたが、僕は怪我も多くリハビリが多かったです。ある日当時の監督の勧めで中距離に転向していたこともあり、駅伝はサポートに周りました。今でもやはり「箱根を走りたかったなあ」とは思いますが、全てタイミングだったのだとありがたく思って受け入れています。

 

「自分には陸上しかないと割り切って頑張っていました」

――大学で陸上をやっていた時はどのような将来を思い描いていましたか?
上原:1・2年生のときは卒業後も実業団で陸上を続けることを考えていましたし、実際に実業団に行くことになっていました。

でも、実は走るのがあんまり好きじゃなかったんです(笑)成績が出てきたりするとそれなりに楽しめたり、同じチームのメンバーとは絆が深まったりというのはあって、楽しくやっていましたが、ある日から今後競技をしているイメージが湧かなくなり、就職ではなく自分のやってみたい海外留学などに興味が湧いてましたね。
そうした中で4年生になって、「卒業後このまま競技を続けるよりやっぱり留学に行きたい」と強く思い始めたんです。それに、今まで競技者だった事もあり全然遊べなかった分「自分の夏休み」という意味も込めて、今までとは全く違う世界に飛び込んでみようと思いました

それで、1年間ワーキングホリデーでカナダに行き、そのあと3ヶ月ぐらいかけてアメリカ縦断の旅をしていました。

――走るのが好きではなかったのに続けられた原動力は何だったと思いますか?
上原:中学校のときから「走るのが好きなわけではない」と気づいていました。

でも、僕は勉強の成績も良くなかったので、行きたい高校には行けない可能性が大だったんです。でも、そんな中陸上でなら声をかけてもらえている。「自分には陸上でしか道はない」と自分の中で割り切って本気になった瞬間でした

大学も同じような流れで入学しましたし、ずっと「今の自分には陸上競技しかない」「やるなら後悔ないよう思いっきりやる」と割り切って競技を続けておりました。

 

同じ「海」を見ても全く違うことに気づいた海外生活


――ワーキングホリデーやその後のアメリカ縦断をしていたときに感じたことを聞かせてください。

上原:やはり世界の広さというか、カルチャーショックを多く受けました。人も街も空気もルールも何もかも違う、今まで体感したことのないようなものを感じたのが大きいです
その一方で、自分の心の中で日に日に変化があり、日本や地元沖縄を誇りに思えてくるようなことも沢山ありました。

たとえば同じ「海」「山」を見ていても、グラデーションや植物、匂いだって全然違う。
文化も食も、全く違うんですよね。

逆に、向こうにいると日本についていろいろ質問されるのですが、それに対してきちんと答えられなかったり、自分の国について話ができなくて恥ずかしい思いをしたりしたことをきっかけに、日本について、地元沖縄について、いろいろ調べ始めるようになりました。それもあって、いつか日本に戻ったら地元沖縄のために何かできればという気持ちを抱くようになったんです

沖縄は今でも僕にとって特別な島なのですが、その背景にはこのときに海外で感じたことがまだ残っています。

――帰ってきてからはどのような生活を送っていたのですか?
上原:海外から帰ってきた後は沖縄で生活することも考えましたが、「まだ沖縄にいるタイミングではない」と思ったこと、社会人になるなら「東京で勝負してみたい」と思ったこともあって、何をするかは明確に決まらないまま東京に行きました。

東京に行ったは良いのですが、計画性の無さが現れ、その時の所持金は25,000円ぐらい(笑)。家のことも特に考えていなかったのですが、多分何とかなるだろうと思ったんですよ(笑)。

結局「半年だけアルバイトをして、その後に就職しよう」と決めて、アルバイトを始めました。高校、大学まではガチガチの競技生活でバイトも禁止だった為、初めてのアルバイトです。この時期は、いろいろな友人の家に転がり込んでいて、泊まれないときは公園で寝ていました。沖縄に帰れば良かったじゃないかと言われるかもしれませんが、何もかも新鮮で楽しかったんです。人生の中の通過点という気概といわゆる「なんくるないさー」精神で、ホームレス生活も乗り越えて生き抜こうと思っていました。家はなかったのですが全然嫌ではなかったですね。きっと人生においてもとても良い経験になるだろうと思っていました

そんな中、本格的に就職活動をしようとアルバイトを辞める直前の時期に沖縄の友達が上京してきたので、そこに家賃2万でリビングに住ませてもらって、ようやく安定した場所を手に入れた感じです。

 

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「不採用から営業成績一位へ。逆境を跳ね除けたサラリーマン時代」

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