#100 追憶――像に溺れる【第5章】

目の前の女性によって語られる過去が、ヤナガワサンの運命に対して決定的な影響を与えたことについて、ぼくはいかなる態度決定もできないまま、彼女の話に耳を傾けていた。

「最初は、絵本だった。さまざまな神話をベースにしながら、道徳的な教訓を得られるような幼児向けの本を作って、近くの児童施設に寄贈していたの。研究活動の一環として、私も福永に協力していた」

「それが、どうしてカルトに」

「児童施設の関係者を通して、ある非営利法人の会報誌の作成を依頼された。それが、浄世光就会の前身となる団体。最初は明確な教義みたいなものはなくて、善意をひとつずつ行動に起こしていきましょう、くらいのものだったから、何も疑わずに引き受けた」

「騙されて手伝わされたんですね」

「それも正確じゃないように思う。本当に最初は、ただのボランティア団体だった。私たちもただの大学院生。でも、先方の提示してきたプロットに対して、彼が提案をした時から少しずつ歯車が狂っていった」

「提案?」

「会報誌には道徳のケーススタディのコーナーがあって、内容としてはお悩み相談みたいなものだったんだけど、福永はそこに罪をめぐる説話的な要素を入れてはどうかと助言した。私たちも若かったから、自分の研究テーマを活かせることが嬉しかったし、認めてもらおうって気持ちが強かった。先方も、熱心に耳を傾けてくれた。それで、何号分もの会報誌を作成しているうちに、福永の思想が色濃く反映されていくようになった」

「罪を措定する話が増えていった?」

「そうね。そのうちに、会報誌は会員の間で道徳の規範のように扱われはじめた。最初は目立たない形で、説話の内容に背く行動をした人に茶々を入れるくらいのものだったけれど、いつのまにか明確な禁忌として通用するようになって……明文化された言葉の力に、私たちは慄きながらも魅入られていた」

「そのまま、今の教団の形になっていったんですか」

「決定的だったのが、米沢という男と出会ったこと。浄世光就会の教祖ね。もともと、例の薬物混入事件を起こした教団の信者で、出会った時の肩書きは整体師だった。実際に資格を持っていたかどうかはわからないけれど、東洋思想に深い造詣をもっていた。独自に形成した思想のなかでも、彼はとくに自他の境界を取り除くことに関心を寄せていて、それが人々の救済につながると強く信じていた」

「その教団の教義とも通じますね」

「米沢と共鳴した福永は、個人を超えたレベルでの罪の共有と、そこからの解放が理想的な共同体を形成すると考えるようになった。加えて、福永は米沢の技術が、宗教的な奇跡の演出に相応しいと考えてしまった。
身体的な不調を抱えている人に、俗世の穢れが原因だと言って、今の生活に対する負い目を植えつける。その不調を、儀式の体裁をとった施術で取り除く。最初は、福永もそううまくいくとは考えていなかった。それでも、あまりに信じ込む人が多かったから、いつのまにか米沢も福永も、自分たちが本物だと思い込むようになってしまった」

「誰か、止める人はいなかったんですか」

「客観的に見れば、一番近くにいた私が止めるべきだった。でも、周りの人たちが徐々に何かに取り憑かれていく渦中にいて、私も冷静ではいられなかった。
結局、会報誌を下敷きにした経典が完成して、福永たちが霊感商法まがいの金策に手を出すようになったあとも、私はそこを抜け出すことができなかった」

長い沈黙に、ぼくは彼女がそこを抜け出せなかった理由を想像する。
彼女の目に宿った暗い光は、過去を悔いているというよりも、何かの怨恨を感じさせるものだった。

「結局、私は教団の方から追放されることになった。教義のなかでも、決して許されることのない罪を犯したから」

「罪からの解放が、教義の軸じゃないんですか?」

「そうね。でも、むしろそうだからこそ、絶対に犯してはならない罪も定められていた。信仰によるアイデンティティを保つために、忌むべき存在が必要だから」

そう言って、彼女はまた口を閉ざした。
ぼくは彼女の罪について、それ以上踏み入ってはいけないのだと思った。


[連載小説]像に溺れる

第1
第2
第3
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—
第4
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—2
第5
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