#23 未知の生態――像に溺れる

反応に困っているぼくを見て、白沢はからかうような笑みを浮かべた。

「闇深そうな人、なんか気になっちゃうんだよね」

ぼくのことを馬鹿にしているのか、あるいは一目置いているのか、判断に困るような態度を、白沢はあえて取っているのではないかと思われた。
しかしこんな風に手の込んだことをして、一体何のメリットがあるというのだろう。
警戒しながら、ぼくはどうにか言葉を振り絞った。

「平凡だよ、ぼくは」

ぼくが避けなければならないに最大のリスクは、白沢からの偽りの好意に期待を寄せて、最終的に嘲笑を浴びせられることだと思った。
ともかく白沢の言葉に、正面から応じてはいけないように感じたのだ。

「いやいや、絶対普通じゃないから。たまに何も映ってないスマホの画面、じっと眺めてるでしょ。結構みんな、裏で『梶谷君ナゾだよね』みたいに言ってるよ」

悪戯っぽい微笑みから発された言葉は、荒々しくぼくの内面世界を抉り出し、そのままハンマーで叩き割るほどの衝撃を与えてきた。
一体、この女は何を考えているのか。はじめての会話で、どうしてここまで踏み込んでくるのか……

「あれって、集中する儀式?」

狼狽するぼくをよそに、白沢の手は滞ることなくパンフレットを折り込んでいく。
ぼくは今、どこに立たされているのだろう?
着地点の見えない落下状態に、ぼくは手を動かすことができない。

「あ、ごめん、馬鹿にしてるとかじゃなくて。集中できるの尊敬するし。私、全部中途半端だから」

馬鹿にされているようにしか、ぼくには受け取ることができなかった。
最後にへりくだった言い方をされても、共感などできるはずもなかった。


「勉強だけで、使えないやつよりマシでしょ」

ぼくの陰気な言葉に、白沢は目を丸くした。
そこでぼくはようやく、彼女の素の反応に触れた気がした。

「意外。プライド高いと思ってた。自分のことそんな風に思ってんの?」
「とりえがないやつほど東大行けって。きっとぼくはそうすべき人間だ」

いつになく言葉がスムーズに出てくる。
孤独な作業で、多くの感情が鬱積していたのかもしれない。

「え、やば、闇深っ。大丈夫? 生きていける?」

冗談めかした白沢のトーンは、ぼくにとって何の救いにもならなかった。

「どのみち、ぼくはうまくいかないんだろう。白沢さんが、どのみちうまくいくのと同じように。だから、ぼくは勉強するしかない」

言いながら、論理が破綻していることがはっきりとわかる。
けれども何かに酔っているみたいに、言葉が止まらなかった。

「えっと、それはちょっと勝手なイメージかなぁ。私も一応、色々悩むし、不安もあるし。みんなそれなりに考えてると思うよ?」

当たり前のことを言われ、頭が急速に醒めていくのを感じる。
ぼくは一体何がしたかったのだろう?

目を伏せ小さく「ごめん」とつぶやくぼくの言葉は届いていたのか、白沢は立ち上がって、「さ、終わったから段ボール入れて、隅に置いといてくれる?」と快活に言った。


ぼくはそれからずっと、勢いに任せてあまりに醜い部分を吐露してしまったことについて煩悶していた。
未知の生態を観察しようとする白沢の目の前で、思う存分奇怪な言動をしてしまったのだ。

次の日、目覚めてからも残っている恥辱の思いに、ぼくはどうしても学校に行く気になれず、グループに熱を理由に欠席する旨をメッセージで送った。
芝原あゆみの「承知しました。お大事に」というメッセージは、すぐに今日の団結をあおるさまざまな文字やスタンプによって流されていった。

ぼくはグループの通知をオフにして、「法学入門」を読みはじめた。


[連載小説]像に溺れる
#0  像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊
#11 作られた像
#12 脱色と脱臭
#13 標本としての像
#14 抽象と具体の接点
#15 内面と世界の間の通路
#16 仮定法の世界
#17 罰による強制
#18 コバンザメ
#19 小さな変化
#20 個別のチャット
#21 権力の構造
#22「羅生門の記憶」
#23 未知の生態

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