#12 脱色と脱臭――像に溺れる

夕飯を食べにリビングに行くと、950円の牛ステーキ弁当が机に置いてあった。
ぼくは椅子に座り、冷たいままの牛肉を口に運ぶ。

電子レンジが嫌いだった。待っている時間、自分が養分を待ちわびる卑しい食肉植物になったみたいで、食べる気が失せてしまう。
それに、再加熱した料理のにおいは、それが劣化の過程にある有機物であることを生々しく伝えてきて、それを消化するぼくの胃についてイメージさせてくるので、どうにも滅入ってしまうのだ。

脳に響く咀嚼音の外側で、切れ目のない打刻音が響いている。
母の部屋から漏れてくるそのキーボード音は、この家でもっとも恒常的な生活音かもしれない。
高校教師をしている母は、ぼくが小四になると同時に職場に復帰したが、ブランクへの負い目からかすぐさまパソコンの操作を覚えはじめた。
ブラインドタッチを身につけてからは憑かれたようにキーボードを打ちつづけていて、そのうち母によってあらゆる言葉が打ちつくされてしまうのではないかと心配になるが、しかしそれで実際どういう問題があるのか、考えてみてもよくわからない。

スマホに通知がきて、SNSの投稿にコメントがついたと表示されている。
開いてみると、二つのアカウントからコメントがあった。

――大丈夫?話し相手が欲しかったらいつでも

――悩みがあるなら聞くよー?フォローしたんでよろしく(*'▽')

どちらのアカウントも、顔の一部を隠した若い男の写真に、居住エリア、年齢、身長まで記載している。
ぼくの像による投稿を、孤独な女性の投稿だと勘違いしているらしい。

電子世界の像を、現実に結びつけようとする浅ましさに吐き気を催すが、彼らのそうした行為もあくまでキャラクター間のやり取りに過ぎないのかもしれない。
特定のキーワードで検索し、それらしい書き込みに片っ端からリプライをつけているのだろう。
彼らもまた、この世界で自身を形成しようとする像の一つに過ぎないと思うと、この状況の軽々しさに力が抜けていくようでもある。

 

ぼくは硬くなった牛肉を頬張りながら、厭世的なキャラクター像にふさわしいリプライを打ちこんでいく。

――キモ。そういうの求めてないんで

――キモ。そういうの求めてないんで

 

同じリプライを双方に送ってからふと、これらの言葉は母によって打ちこまれることがないだろうと思う。
途端になにか、自分を外側から見つめている存在があるような気がしてくる。それは嫌な感じがした。

弁当を食べ終え部屋に戻ってから、ぼくはスマートフォンの電源を落とし、自分だけの像の世界へと潜り込んでいった。

ヤナガワサンはいつも朝礼の終わり際に登校してきて、ぼくの鼻腔を柑橘系のにおいで刺激し、そのあとバニラの香りを重たく染みつけてくる。
それからずっと、いかにも退屈そうな猫背の姿勢で、教室の外に意識をやっている。
そういうヤナガワサンの、ぼくの意識を攪乱してやまなかった振る舞いに対し、ぼくはいつの間にか免疫を手にしていた。

彼女の存在に馴れたというのではなかった。
現実の空間に彼女が存在しているということ、その存在の重みを、相対的に感じなくなったのだ。
現実の存在がもつ質量は、電子空間においては等しく無になってしまうのだから。

 

ヤナガワサンはだいたい二時間目の途中には机に突っ伏して眠ってしまう。
その日も二時間目の頭から眠りに入り、授業が終わって号令がかかっても、彼女は一切動じず眠りつづけている。
教室の真ん中で堂々と眠りつづける彼女に、ぼくらはむしろ、おかしいのは自分たちの方なのではないかと思わされてしまう。

けれどもぼくは、ヤナガワサンによってもたらされる動揺への対処法を見つけていた。

――目の前の席で寝られるとやる気なくすわ。何のために学校来てんの

休み時間、トイレの中でSNSに投稿する。
ヤナガワサンの存在を、平板な言葉のうちに圧縮してしまう。
そうすると、ヤナガワサンの特異性が、なんでもないもののように思えてくる。

脱色と脱臭。
現実の人間も出来事も、電子世界のテキストに変換されると同時に、どれもみな判で押されたようになる。
個性も中身も意味がなく、ただただ数字が、有無を言わさぬ説得力をもっている。

 

昼休み、部室棟の階段でパンを食べていると、前からヤナガワサンが近づいてくるのが見えた。
なぜだか鼓動が早くなり、息がつまっていくのを感じる。
問題ない、すべてテキストにして吐き出してしまえばいい。そう自分に言い聞かせる。

ヤナガワサンはぼくを一瞥することもなく、階段を上っていった。
動揺を悟られてはいまいかと不安になるが、そもそも彼女はぼくにいかなる関心も寄せてはいないのだ。

――ヤンキーがタバコ吸うのって個性のつもり?みんな一緒の行動するから逆に個性なくしてるよね

 

投稿してから、自分の呼吸が浅いままであることに気づく。
ぼくは明らかに苛立っていた。
それがヤナガワサンの無関心によるものなのか、書き込むうちに形成された感情なのか、うまく判断することができない。

 

パンを頬張り、飲み込む。
投稿した言葉は、ぼくの感情とは関係ない、自律した像によってなされたはずのものだ。
現実世界からのインプットを、特定のアルゴリズムにもとづき変換し、それらしい形にアウトプットする……その圧縮のプロセスは、消化と同じ、オートマティックなものでなければならない。
それなのに、これではただの愚痴と変わらないじゃないか。

 

後ろから足音が近づいてくる。
煙たいバニラの香りが足音よりも早くやってきて、身を固くするぼくの横を、ヤナガワサンが通り過ぎていく。
と、何かに気づいたようにヤナガワサンは足を止め、ぼくの方を振り返った。

「なぁ、お前友だちいねーの?」

それがぼくに向けられた声であることを、なぜだかすぐに理解できず、返事がうまく出てこない。

「コミュ障かよ」

そう言い残して、ヤナガワサンは興味を失ったように遠ざかっていく。
耳に残る二つの言葉は、脱臭も脱色もできそうになく、物質的な響きをもってぼくの鳩尾あたりに引っ掛かっていた。


[連載小説]像に溺れる
#0  像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊
#11 作られた像
#12 脱色と脱臭
#13 標本としての像

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