ぼくはぼくの像が、現実に他人の思考の中心点として機能する可能性について想像した。
それはきっと気分がいいものだろうと思われた。
ぼくはスマホのインカメラで自分の顔を映してみる。
見慣れているはずの自分の顔に、あらためて落胆の念が生じる。
ぼくの目に映る彩りに満ちた世界に、この顔が像として存在してしまうことについて、ぼくはどうにも受け入れることができない。
それは装飾のない校舎の内部の、閉じた空間でしか存在してはいけないもののように思えた。
世界の色彩を一変させる、ヤナガワサンのオレンジ。
世界のうちに自然に溶け込む、ツーブロックと石鹸の香り。
どちらも、他人のうちにきらびやかな像をうち立てて、憧憬や羨望の情を惹起する。
ぼくの像は、現実の世界になにか生産的なものをもたらすだろうか。
背後の二人は、話題をお互いの進路に切り替えていた。
大学名と学部、その先の就職率や就職先に関する内容が、テンポの良い会話を通じて整理されていく。
自らの将来について、建設的に選択肢を比較していく様子から、彼らが進学校の生徒のなかでも器用で柔軟なタイプに属していることがわかる。
「適度」というものを見極める能力が、そういう類の人間にはあった。
あらゆる環境において、必要なものを必要なだけこなせる要領のよさ、そういう性質をぼくは小賢しく思いながら、結局のところ生存競争を勝ち抜くのは彼らの方ではないかと、脅威に感じるのでもあった。
突如として車体を打ちはじめた激しい雨音に、ぼくは窓の外を見る。
横殴りの雨粒が無数に視界を横切っていくその手前に、ぼくの姿がうっすら浮かび上がっている。
顔だけを映したインカメラの姿とは異なり、制服に身を包んだ全身の姿は、とりたてて違和感を与えないように思えた。
むしろ、県内有数の進学校の制服は、ぼくの陰気な顔すらも、勉学への集中のため美醜に頓着しない模範生徒のもののように見せている気がした。
進学校の試験、受験制度、そうした環境において最適な形態は、外見への関心を排除したところにある。
美醜への関心は、適者生存の原理からの脱落を意味する……
停車した駅で、突然の雨に濡れた人たちが乗り込んでくる。
車内の湿度が急に上昇して、雑菌まみれの靴の臭いが鼻をつく。
金魚のエサの、こびりつくような臭いが鼻腔に喚起される。
淘汰されるのは彼らの方でなければならない。
ヤナガワサンが学校に戻るまでの一週間、結局ぼくの頭がオレンジのイメージから解放されることはなかった。
そうであるから、現実の彼女が黒い髪に戻っていたことは、ぼくの精神衛生上好ましい変化だったと言える。
しかし彼女の後ろに座るぼくにとって、厄介な問題が新たに生じた。
彼女の香水――柑橘系の鋭い香りがツンと鼻腔を刺激し、そのあとバニラのような妖しい甘さがむっと立ち込めてくる――その香りはぼくに、毒を吸い込んだ黄色い花弁が、不健康な紫色で侵食されていく様をイメージさせた。
その毒々しさは、ぼくに数日間酔いのなかに沈めたが、次第にそれは依存を引き起こす薬物のように、彼女が眼前にいることの実感となって、ぼくの脳に沈着したのだった。
[連載小説]像に溺れる
#0 像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊