昼休みの教室が苦手で、いつも四時間目のチャイムと同時に教室から抜け出している。
弁当のにおいが入り混じって、それだけでも気分のいいものではないのに、そんな中で参考書に見入ってるやつもいて、さまざまな活動の境界線がなくなっていくのが不快だった。
手作り弁当というものがもともと嫌いで、それぞれの家庭の有機的なところというか、消化のプロセスを持ち込んでいるという感覚に耐えることができず、高校に入ってからずっと、昼食はコンビニのパンだけを食べている。
部室棟の方は昼休みに近づく人が少ないから、そこで一人パンを頬張る。
ほおばる、という音の響きがもうなんか嫌で、人には見せられないという感じがする。
誰にも見られることなく、パンを頬張る。自分は孤独だ、と思う。
同時に、昼休みを普通に過ごせない自分に、独特の形みたいなものが与えられていくのを感じる。
頬張りながら、ぼくは誰とも違うぼくになっていく。
誰かと違うと意識するほど、自分の輪郭がはっきりと定められていく。
その過程は、脱皮に似ているように思う。
「自分はああいうタイプではない」と、自分にとって不要なものを切り捨てて、そのたび自分を更新していく。
振り向くと、「なってはいけない自分」の像が、抜け殻となって積み重なっている。
グラウンドで毎日仲間と汗を流す自分。
ワックスで髪を固め、友だちとカラオケとか買い物とかに出かける自分。
ツーブロックの髪で、クラスで人気の女子と一緒に下校する自分……そういう像を捨て去りながら、ぼくはぼくの不変の形を定めていく。
パンを食べ終え、しばらく部室棟の階段に座っていると、二階の部屋のドアが開く音がした。
足音が近づくとともに、柑橘系の香りが鼻腔をくすぐったかと思えば、すぐさまバニラの甘さが立ち込めてくる。
背後から通り過ぎていく人影を、ヤナガワサンと確信しながら見送るその瞬間、かすかに漂う煙のにおいに気がつき、拒絶反応がスプリンクラーみたいに噴出する。
「タバコですか」
拒否感を押し殺すことができずに、いきなり責めるような調子になった。
足を止めたヤナガワサンは、ぼくがそこに座っていることにはじめて気づいたような顔をしている。
「だれ」
それは狙いすました急所への一撃となって、ぼくの足元をぐらつかせた。
経験したことのない屈辱感に、声がうまく出てきてくれない。
「いや……同じクラスの。カジタニ。席、うしろの」
ぼくの卑小な心の動きを、ヤナガワサンのつまらなそうな視線が捉えている……そう感じて目線を上げると、ヤナガワサンはたまたま目に留まった蝉の死骸から視点を切り替えるみたいに、何も言わずにぼくに背を向け、退屈そうな足取りで離れていった。
なぜ、そんな風に扱われなきゃいけないのか。
一体何をもって、ぼくを下に見るのか。
恥辱から芽吹いた憤りは、けれども声になることなく、ぼくの内側で熱をもったまま滞留している。
予鈴が鳴って、少し湿り気を帯びた風を肌に感じた。
ぼくは間違いなくここにいるはずだった。
教室に馴染めない、他とは違う存在であるはずだった。
しかしヤナガワサンにとってのぼくは、群れからはぐれたイワシほどの存在に過ぎず、それをめぐるいかなる像も、彼女の中に形成されることはないだろう。
なにか、ぼくを構成していたはずの骨組みのようなものが、いつの間にかごっそり抜き去られてしまったように感じる。
それは今までにない感覚だった。
左手の異物感が全身に転移したみたいに、粟立った肌だけが生々しく、思考も感情も精神も、チェーンの外れた自転車のようにカラカラと、内容を欠いたまま空転している。
ぼくがぼくとして積み重ねたすべてが、何ら意味として読み取られることのない世界が、教室の外には無数に広がっている。
そういう、信じたくない感覚だけが、押しつけがましく居座っていた。
[連載小説]像に溺れる
#0 像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊