鎮護国家思想と天平文化――佐京由悠の日本文化史重要ポイント

受験生の皆さま、お疲れ様でございます。
日本史科の佐京でございます。今日は「日本文化史重要ポイント」の第3回、天平文化を取り上げてお話ししたいと思います。

天平文化の基本情報

☆キホン情報の整理
時期:8世紀
政治史的理解:鎮護国家思想・僧侶の政治介入
中心人物:聖武天皇
外交史的理解:盛唐文化
仏教史的理解:鎮護国家思想の隆盛
中心寺院→東大寺・興福寺

前回扱った白鳳文化では、国家仏教の萌芽がみられました。
その「萌芽」が今回とりあげる天平文化で「鎮護国家思想」として結実することとなります。

 

鎮護国家思想と奈良仏教の発展

鎮護国家思想とは、為政者が仏教を保護することにより、諸仏が国家を護ってくれるという思想のこと。

この鎮護国家思想においては護国三部経、すなわち法華経・金光明最勝王経・仁王経の三つの経典が重要となります。特に法華経はこのあとの時代、天台宗や日蓮宗の根本経典にもなりますので要チェックですね。

さて、時の天皇は聖武天皇です。

Point 聖武天皇
文武天皇の皇子で、701年生まれ、名前はおびと皇子といいました。
彼の父親、文武天皇は大宝律令制定(701年)のときの天皇ですが、707年に亡くなってしまいます。このとき首皇子は6歳。
さすがに6歳で天皇の仕事はできませんから、その後元明(文武の母)・元正(文武の姉)の2代にわたって女帝が続きます。
奈良時代の初めに女帝が2代続くのは、聖武天皇の成長を待つための、いわば「中継ぎ」だったのですね。ちなみに、「さすがに6歳で天皇の仕事はできませんから」と申しましたが、平安時代は逆に幼帝が多く存在しますね。これはなぜなのでしょうか。
よろしければ! 平安時代の記事が更新されるまで考えてみてくださいませ。

 

聖武天皇と国分寺・国分尼寺

聖武天皇は737年の天然痘による藤原四子の死去、740年藤原広嗣(式家)の乱などを背景として鎮護国家思想を重視し、①国分寺建立の詔、②大仏造立の詔を発していきます。

①によって国ごとに国分寺・国分尼寺が建立されていくわけですが、それぞれ正式名称は

国分寺金光明四天王護国之寺
国分尼寺法華滅罪之寺

といいます。
護国三部経とも関連付けて押さえておきましょう。

 

天平文化の美術


天平文化の美術は建築も彫刻も有名なもの・重要なものが多いです。

天平文化の建築

たとえば、建築でいえば
東大寺法華堂 ・正倉院宝庫 ・唐招提寺金堂 ・唐招提寺講堂 などなど。
写真で見わけられるように目を皿のようにして資料集をみておきましょう!
詳しくはコチラで解説していますのでご覧くださいね。

 

天平文化の彫刻

また、彫刻もたくさん登場します。
代表的なものだけで、

興福寺十大弟子・八部衆像 *阿修羅像はこのうちの一つ
東大寺法華堂不空羂索観音像
唐招提寺鑑真和上像
東大寺法華堂日光・月光菩薩像
東大寺法華堂執金剛神像
東大寺戒壇院四天王像
新薬師寺十二神将像

おいおいおいおいと(笑)。多いなと。

でも大丈夫。仏像と付き合い方の記事で述べたように、その仏像の「特徴」を押さえて、「見慣れて」いきましょう。
天平文化の仏像を押さえるときにはまずその技法に着目するとよいです。

彫刻の技法――「乾漆像」と「塑像」

この時期の彫刻の技法には2種類ありまして、それが「乾漆像」と「塑像」です。

乾漆像→麻布や和紙を漆で貼り重ねるなどして作製する方法で、細部の仕上げがしやすい一方、漆の調達に膨大な人件費・経費がかかる

塑像→粘土で作製する方法で、湿度・衝撃に弱い

なるほど、乾漆像の方が、圧倒的に手間がかかりますね。
だから重要な仏像にしか使われません。

先ほどの作品群で言えば①~③が乾漆像、④~⑦が塑像です。
例えば東大寺法華堂の本尊である②不空羂索観音像は乾漆像で、その守り神である⑤執金剛神像は塑像です。

作品名だけでなく、技法という軸も持っておくと、整理しやすいですよね。

 

天平文化の学問・思想


天平文化の時代には、歴史や教育、文学など、学問・思想の分野でも発展があります。

 

『古事記』『日本書紀』の成立と六国史

たとえば、『古事記』『日本書紀』の成立。

712年 『古事記』成立 (神代~推古朝)
720年 『日本書紀』成立(神代~持統朝)

『古事記』は稗田阿礼が『帝紀』『旧辞』を暗誦し、これを太安万侶が筆録したものです。
『日本書紀』は漢文編年体の歴史書で、六国史の最初となります。

Point 六国史
『日本書紀』:神代~持統[舎人親王]
『続日本後紀』:仁明[藤原良房]
『続日本紀』 :文武~桓武[菅野真道]
『日本文徳天皇実録』:文徳[藤原基経]
『日本後紀』:桓武~淳和[藤原緒嗣]
『日本三代実録』:清和・陽成・光孝[藤原時平・菅原道真]
※[]内は覚えておきたい編者

ちなみに、『古事記』『日本書紀』を文献学的に批判し、その結果「神話であって事実ではない」と評価したのが早稲田大学教授の津田左右吉。これがきっかけで出版法違反で起訴されることになるのが1939年です。近代文化とも関連付けておきましょう。

『懐風藻』と『万葉集』

他に、文学では最古の漢詩集である『懐風藻』や、最初の和歌集『万葉集』も重要です。

『懐風藻』 日本最古の漢詩集
石上宅嗣 最初の公開私設図書館である芸亭を創設
淡海三船 大友皇子の曾孫 『唐大和上東征伝』(鑑真の伝記)

『万葉集』 日本最初の和歌集 全20巻 編纂には大伴家持が関わる 万葉仮名
・長歌・短歌・旋頭歌・片歌・仏足石歌体など約4500首
・農民(東歌・防人歌)から天皇まで様々な階層の歌を所収
・時期区分:
第一期 ~壬申の乱  天智天皇 額田王ら
第二期 ~平城遷都  柿本人麻呂 高橋虫麻呂ら
第三期 ~(733)頃 大伴旅人 山上憶良 山部赤人ら
第四期 ~(759)頃 大伴家持ら

それでは、今日はこの辺で。
より詳しく勉強なさりたい方はこちらもご覧くださいね。



「佐京由悠の日本文化史重要ポイント」
第1回 初の仏教文化、飛鳥文化
第2回 国家仏教の形成と白鳳文化
第3回 鎮護国家思想と天平文化
第4回 弘仁・貞観文化

広告

※本記事はプロモーションを含む場合があります。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事