近代文化⑤〈思想〉中編【佐京由悠の日本文化史重要ポイント】

お疲れ様でございます。日本史科の佐京です。
今日は近代文化の5回目、大正期の思想を「大正デモクラシー」に着目してみていきましょう。

▼前回の記事はコチラ

大正デモクラシー


「大正期の思想」といったとき、まず無視できないのは〈大正デモクラシー〉ということばです。
〈大正デモクラシー〉とは、たとえばこのように説明されます。

大正デモクラシー:大正期に高揚した自由主義、民主主義的風潮。その背景には産業の発展、市民社会の発展、第一次世界大戦前後の世界的なデモクラシー風潮の影響がある。…(後略)

(山川出版社『日本史B用語集』)

「なるほど! 大正期のデモクラシーのことかぁ!」ってそりゃそうなんです。

もちろん、こうした用語はその〈中身〉がだいじ。
なぜ大正民主主義ではなく大正「デモクラシー」なのか、そしてなぜ「大正」デモクラシーなのか。
これを考えることで大正期とされる時代(とその周辺)の特質をとらえることができるでしょう。

民主主義と民本主義

そもそもデモクラシー(democracy)とは、日本語で「民主主義」と訳すことが多いです。
今日のお話しは、少し遠回りをしてこの「民主主義」のお話しから始めましょう。

デモクラシーはギリシャ語のデモス-クラティア(人民の権力)を語源としたもので、全人民の主体的な政治参加による秩序形成を指します。平たくいえば、「みんなが自分から自分たちの共同体のきまりづくりに参加する」といった感じでしょうか。

で、なぜこんなにコトバの定義をごちゃごちゃ書いているのか、勘のいい受験生のみなさんはわかったかもしれません。そう、「民本主義」とのかかわりです。

民本主義

「民本主義」ということば自体は『万朝報』の記者として活躍したこともある茅原華山という人がはじめてもちいたことばですが、これに明確に定義を与えたのが吉野作造です。

吉野作造は『中央公論』の1916年1月号に「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」という論説を載せ、その中でデモクラシーの訳語として「民主主義」と「民本主義」の2つを比較しました。

そのうえで吉野は、「民主主義」を「国家の主権は法理上人民に在り」、「民本主義」を「国家の主権の活動の基本的の目標は政治上人民に在るべし」とそれぞれ使い分けています。

つまり、「民主主義」は人民に主権があることを前提としているのに対し、「民本主義」は主権の所在は不問であるとして、主権が誰にあろうともその活動の基本的な目標は人民にあるべきだといっているのです。

「民本主義」はあくまで主権の「運用」に着目した議論だといえます。

民本主義と大日本帝国憲法

吉野が「民主主義」をさけて「民本主義」を説いたのはほかでもない、大日本帝国憲法とのかかわりです。

大日本帝国憲法では第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」としているので、ここで「民主主義」を唱えるとこの規定に真正面から抵触することになりますから、使用は避けるべきであると考えたのでしょう。

吉野によれば、民本主義においては、政治は「一般民衆のために」、「一般民衆の意向によって」行われます。

つまり吉野は、大日本帝国憲法下であっても〈デモクラシー〉の実現が可能なように「民本主義」の語を用いたのですね。

この「民本主義」は主権の所在の議論を避けて議会政治の徹底化を唱え、普通選挙・政党内閣を目指したわけですから、〈大正デモクラシー〉の実践において果たした役割は大きいといえます。

天皇機関説

もうひとつ、〈大正デモクラシー〉における代表的な主張として、天皇機関説があります。

天皇機関説とは、ドイツの憲法学者G.イェリネックの国家法人説をもとにした考え方です。

自然人と法人

ここでは少し補足が必要かもしれません。

そもそも法律上、権利(・義務)の主体、つまり「権利」を享受できる存在は「」のみです。
そしてその「人」には「自然人」と「法人」の2種類があるのです。

「自然人」と「法人」
  • 自然人=(権利能力が認められる社会的実在としての)人間のこと
  • 法 人=自然人以外で、法律によって権利義務の主体となることができる資格(権利能力)を認められたもの一定の目的を持つ個人の集団などを指す

ん゛!?!?!?!?
…となってしまった方は前者を「ニンゲン」、後者を「会社」と読み替えて以下に進んでください!

国家法人説

国家法人説の話に戻りましょう。

天皇主権説

大日本帝国を統治する権限は誰にあるのか、という問題について「そりゃ天皇でしょ!」とする立場を天皇主権説といいます。
代表的な論者は穂積八束や上杉慎吉です。

天皇機関説

その一方、憲法によって国家権力を制限するという立憲主義を重視する立場の論者は「いや、統治権の主体は国家という法人なんだ!」というのです。

そして、国家という法人(→会社)において天皇とはその最高機関(→社長)にすぎず、天皇の権能は憲法の制約を受けるのだ、といいます。これが天皇機関説です。

つまり、天皇機関説は天皇が無制限に権力を握るのではなく、最高権力者である天皇でさえも憲法によってしばられる存在なのだ、ということを明示したわけです。

この学説は護憲運動の進展のなかで定着し、有力学説となっていきます。
そして、民本主義とともに政党内閣や普通選挙を支えていくのです。

▼大正デモクラシーについてはコチラ

▼立憲主義についてはコチラ


次回は、前回とりあげた社会主義思想や国家主義思想の「その後」、つまり大正期から昭和戦前期にかけての展開を見ていきましょう!
ではまた。

広告

※本記事はプロモーションを含む場合があります。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事