国家仏教の形成と白鳳文化――佐京由悠の日本文化史重要ポイント

受験生のみなさま、お疲れ様でございます。
日本史科の佐京でございます。
今日は「日本文化史重要ポイント」の第2回、白鳳文化を取り上げてお話ししたいと思います。

白鳳文化の基本情報

☆キホン情報の整理
時期:7世紀後半
政治史的理解:律令建設期
中心人物:天武天皇・持統天皇
外交史的理解:初唐文化の影響
仏教史的理解:国家仏教の形成
・中心寺院→薬師寺

 

国家仏教の形成

古代・中世の文化を学ぶ際に重要となる視点の一つに「仏教」があります。

今回とりあげる白鳳文化は、前回扱った飛鳥文化が仏教伝来から比較的間もない時期であったのにたいして、仏教の受容が進んできた時期の文化です。

そこで、ここで顕在化してくる特徴が「国家仏教の形成」です。

「国家仏教」とは、仏教を国家の保護・統制下におくこと。
この時期、伽藍の造営や維持・管理を国家が行う官寺が設けられ、その中でも特に格の高いものは「官大寺」とされました。
初の本格的都城として造営された藤原京の四大寺は大官大寺・弘福寺・薬師寺・法興寺となります。

 

さて、そのなかで薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒のために造営を開始したことで知られています。
天武天皇の没後完成するこの薬師寺は、白鳳文化では必須の「建築」、薬師寺東塔を有する大寺院です。

 

白鳳文化の中心寺院――薬師寺


薬師寺には東塔と西塔がありまして、西塔は16世紀に焼失し、1981年に再建されたものです。
なので、我々が勉強するときには創建当初の建物である東塔が重要になってくるのです。

さて、この東塔、裳階つきの三重塔です。

裳階とは、飾り屋根のこと。
一見、「六重塔」?と見まがうわけですが、上から数えて2・4・6番目の屋根が裳階ですので、三重塔であるわけです。

 

白鳳文化の美術

美術では、彫刻をいくつか取り上げてみましょう。

 

薬師寺金堂薬師三尊像

まずはやはりコレ。
薬師寺の本尊である薬師寺金堂薬師如来像。
真ん中の薬師如来像、脇侍には日光菩薩像と月光菩薩像を配している、金銅像です。

 

薬師寺東院堂聖観音像

東院堂聖観音像も押さえておきましょう。

聖観音(像)とは、一面二臂、すなわち、十一面観音や馬頭観音のような超人間的な姿(=変化(へんげ)観音)でない観音像のことを言います。

 

その優雅な姿は「白鳳の貴公子」(薬師寺公式サイトより)とも言われます。

 

興福寺仏頭

白鳳文化の中心寺院は「薬師寺」ですが、当然他の寺院にも押さえておくべき彫刻はあります。

ワンポイントアドバイス

文化史の勉強では「原則」「例外」を押さえるのが肝要です。
つまり、原則→中心寺院の美術品、例外→そうでない美術品という視点です。

白鳳文化でいえば、原則→薬師寺、例外→それ以外ということになります。

 白鳳文化「なのに」興福寺とか、(飛鳥文化の中心寺院である)法隆寺「なのに」白鳳文化の作品とか。
「原則」「例外」を意識するだけで文化史学習の見通しはよくなります。

 

この「例外」の代表例が「興福寺仏頭」です。

興福寺は次回扱う天平文化の中心寺院なのですが、諸事情により白鳳文化の彫刻として扱うのです。
その「諸事情」とは――。

 

興福寺仏頭が白鳳文化の彫刻として扱われる理由

この仏像(アタマだけですが)、もともとは山田寺という寺院の本尊でした。

 山田寺とは、大化改新で出てくる蘇我倉山田石川麻呂の没後に完成した寺院です。
ここの本尊(薬師如来)の頭部が、12世紀に興福寺に持ち込まれ、東金堂に安置されていました。
興福寺東金堂火災の際に焼失したとされていましたが、1937年に発見されて現在に至ります。

 

原則、例外の「例外」たる理由もちゃんとあるのです。

 

おわりに

以上、美術では主に彫刻を扱いましたが、それ以外にも1970年代に発見された高松塚古墳壁画や、1949年に焼失し、その事件が1950年の文化財保護法制定のきっかけとなった法隆寺金堂壁画などの絵画作品も写真とともに見ておきましょう。

また、文学では『万葉集』に登場する歌人も大切ですが、これは次の天平文化でまとめて扱いたいと思います。

それでは、今日はこの辺で。
より詳しく勉強なさりたい方はこちらもご覧くださいね。

 

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