初の仏教文化、飛鳥文化――佐京由悠の日本文化史重要ポイント

ごあいさつ

受験生の皆さま、お疲れさまでございます。日本史科の佐京でございます。

以前、文化史は「他の時代との関わり、政治史との関わり、経済史との関わり、外交史との関わり、そして他科目との関わりを意識しながら」勉強しましょう!というお話しをさせていただきました。

そこで今回から、各文化について理解の前提となる基本情報(=幹)を整理し、知識を関連付けて(=枝葉)各文化を立体的に学習できるように概観するシリーズをスタートさせたいと思います。

各記事では冒頭で「☆キホン情報の整理」として、主に「時期」「政治史的理解」「外交史的理解」「仏教史的理解(古代・中世の文化は中心寺院も)」などの観点から整理し、これを踏まえて、皆さんが当該文化を学ぶにあたって「これだけは押さえておいて欲しい!」というポイントをお話ししていきます。

前回の記事で勉強法の3STEPはわかったけれど、苦手意識が強くてなかなか進まない、理解のためのヒントが欲しい、そんな方々のためにお役に立てるシリーズにする予定です。

「大人の修学旅行」と併せてコチラもぜひご愛読くださいね。

「☆キホン情報の整理」における各項目
時期:その文化が隆盛した時期
政治史的理解:時の政治権力との関わり
中心人物:時の権力者や当該文化の隆盛に貢献した人物
外交史的理解:海外からの影響、特に海外から伝来した文物などを考えるヒントに
仏教史的理解:仏教史の流れのなかでどう位置付けるか、古代・中世は特に大切!
・中心寺院→仏教史を考えるヒント。例えば先に中心寺院を押さえておけば「△△寺〇〇如来像」の「△△寺」の部分が格段に理解しやすくなります。詳しくは各文化の記事で!

 

では、さっそく「飛鳥文化」からまいりましょー!

 

飛鳥文化を勉強する際にゼッタイに押さえておきたいコト

☆キホン情報の整理

時期
:7世紀前半
政治史的理解:蘇我氏による政権運営・推古朝
中心人物:蘇我馬子・厩戸王
外交史的理解:中国南北朝文化の影響=南朝(六朝)文化と北魏文化が朝鮮半島を経由して伝来
仏教史的理解:初の仏教文化
・中心寺院→法隆寺

 

文化史学習はココからスタートする方も多いのではないでしょうか。
現在の奈良県を中心に華開いた、飛鳥文化であります。

この文化は、時期としては7世紀前半、ヤマト時代の前半の文化です。
中心人物は587年に物部守屋を滅ぼして権力を握った蘇我馬子、そして馬子の姪推古天皇を支えた、厩戸王をあげています。

 

飛鳥文化のポイントは「初の仏教文化」であること

飛鳥文化のポイントは何といっても「初の仏教文化」であること。
まずは仏教伝来についておさらいしましょう。

 

仏教伝来――私伝と公伝

仏教の伝来には私伝(民間ルートでの伝来)と公伝(政府間の正式なルートでの伝来)の2種類ありまして、これらの根拠史料も併せて確認をしておきましょう。

仏教私伝
継体朝において、司馬達等が草堂を営み、仏像を安置との記述。
522年 典拠『扶桑略記』

 

仏教公伝
百済聖明王から仏像経典が伝来。
戊午説→538年 典拠『元興寺縁起』『上宮聖徳法王帝説』
壬申説→552年 典拠『日本書紀』

 

こうして伝わってきた仏教は当初は「蕃神」、すなわち外国の神であり主に渡来人たちが信仰していました。

 

飛鳥文化の中心寺院


飛鳥文化の中心寺院は「法隆寺」
法隆寺は厩戸王創建とされる寺院で、中でも五重塔は世界最古の木造建築物としても知られています。

7世紀にはこの法隆寺をはじめとして、四天王寺や蘇我氏の氏寺である飛鳥寺(法興寺)などが盛んに建立され、仏教寺院が古墳に代わって権威の象徴として用いられるようになったことがわかります。

 

飛鳥文化の美術

外交史的理解にもあるように朝鮮半島を経由して中国の南北朝文化が伝わります。
仏像についての拙稿でも述べた通り、それぞれ

北魏様式→「左右対称・正面観照性が強い」
南朝様式→「立体的でソフト」

 

との特徴があります。

この特徴を押さえて、法隆寺金堂釈迦三尊像広隆寺半跏思惟(弥勒菩薩)像などの具体例を写真とともにチェックしていきましょう。

飛鳥文化について詳しくはコチラの動画で取り上げていますので、適宜ご覧ください。


「佐京由悠の日本文化史重要ポイント」
第1回 初の仏教文化、飛鳥文化
第2回 国家仏教の形成と白鳳文化

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