#35 奪われた核――像に溺れる

学校から駅までの商店街を歩いていると、芝原の父と映っていた奇妙な鳥のキャラクターがやたらと目に留まるようになった。
駅のポスターや、街頭フラッグの隅っこに彼らは生息していて、この街の侵略を目論んでいるみたいだった。

その鳥は「いっちょむ」という名前を与えられていた。イチョウとオウム、ということらしい。
目玉はギンナンで、くちばしはイチョウの葉をかたどったものだという。

いっちょむの一部がイチョウで構成されているということに、何かむせかえるような嫌悪感が生じる。
学校の前を流れる川に沿って、通学路と交差するように続いているイチョウ並木は、晩秋の今まさに強烈な悪臭の発生源となっていた。

目玉の奥を腐らせるような臭気に、そこを通る生徒たちはしばしば顔を歪めたり、鼻をつまんで「くっせ」とことさらに叫んでみたり、生理的嫌悪をあらわにするのだが、しかし光景としてのイチョウ並木は美しいのだった。

美しいのに、周囲に吐き気を催させるイチョウの木は、存在そのものに矛盾を抱え込んでいるようだ。
けれども実際、そういうことは誰にでもあることのようにも思えた。

ヤナガワサンの停学が明ける前日、放課後に担任の岡本先生から呼び出された。
思い当たる節はなかったけれども、職員室に入ると、何やら自分が疚しい存在であるような気がしてくる。

「ごめんね、大したことじゃないんだけど」

間近で見る岡本先生の身体は、こぢんまりと萎んでいく過程にあるように映り、とても数十人の若者を統率できるようには見えなかった。
それなのにぼくは、その後の言葉に対して身構えている。

「梶谷君、部活棟のところでお昼食べてるでしょう。全然いいんだけれどね、ほら、タバコの件があって、いつも部室棟の中で吸ってたっていう報告もあって」

関係性が疑われている。穏やかな声だけれども、ぼくの身体は固まっていく。

「多分一回、先生に声かけられなかった? ちょっと圧のある先生。そこで『誰もいない』って答えられたっていうので、なんだろう、他の先生から『見張り役なんじゃないか』って。馬鹿らしい話だけどね」

言いがかり程度の内容で、ぼくは少し気を緩めた。霧の中のような解像度だ。

「担任として一応確認すべきだろうってね。嫌なところ見せて申し訳ないけれど。梶谷君は関係ないって私は思っているけど、それでいいかな?」

先生側からあらかじめ「面倒でない答え」が用意されたことに、うっすら拒絶感を覚える。
けれども、ぼくは「はい、全然知りませんでした」と、敷かれたレールにしれっと着地した。

「そうだよねぇ」と言いかけたところで、先生はピクッと背筋を伸ばし、胸元に手を当てた。
取り出した電話の画面を見て表情を一瞬曇らせると、「ちょっとごめんね」とぼくを制して電話に応じる。

「はいはい、あぁ、あれはね、ちょっと待ってね」と言いながら、引き出しを開けファイルを探す。
と、ファイルの束に隠れて、見覚えのある黒地に金のパッケージが目に映る。

それはヤナガワサンの、奪われた核だった。
拳銃のような物騒さは、事務的な書類に混ざることで剥奪されて、落とし物置き場に並べられたような所在なさを滲ませている。

「え、あぁほんとに? ちょっとじゃあそちら行きますね、はいはい」そう言って岡本先生は電話を切り、いそいそとファイルを手に取りながら、「呼び出しておいて申し訳ない、ちょっと急用が入ってね、部室棟のことは大丈夫だから」と言って席を離れていった。

それから、ぼくが目の前の引き出しからタバコを抜き取るまで、世界からは一切の思考が奪われていた。
ぼくはたぶんそれを、アメンボの足ほども波立たせない動作で遂行した。
理由はわからないけれども、そうすることが最も自然なことだという確信が、ぼくを導いていた。

職員室を出る瞬間、身体がいきなり緊張に押しつぶされそうになる。
大丈夫、両隣は空席だったし、見ている先生がいたらその場で止められていたはずだ。
早足になるが下半身が覚束ない。

校舎を出る。
ギンナンの臭いが鼻をつく。
左手に汗が滲み、タバコのビニール包装がぬらぬらした感触を浮かべている。
これほど手に馴染まない物質があるだろうか。とはいえもう、引き返しようがない。

視界が狭く、真っ直ぐのはずの道路がうねって、看板の文字が断片的に目に飛び込んでくる。
駅のポスターの隅っこから、「いっちょむ」がぼくを監視していた。


[連載小説]像に溺れる

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