#32 恣意的な者――像に溺れる

ヤナガワサンにとっては、タバコが見つかり、停学処分を下されることは、彼女の日常的な学校生活の延長上にあるのかもしれない。
けれども遠藤は、教員からの差別的な扱いにダメージを受けていたのは明らかだ。

たぶん彼女は、自分の番が来るまでにタバコをどうにか隠したのだ。
ヤナガワサンと違って、彼女はそれが見つかることを怖れていたし、学校生活への適応そのものを拒んでいるわけではなかったはずだ。

端的に、彼女は人権を踏みにじられたのだ。
法の埒外で、教員個人の裁量によって、見えない人権ゲージをすり減らされた――そしてぼくは遠藤に、前日ゲージを傷つけられたことを盾にして、それを是認していたのだった。

1時間目がはじまる前に、二人は職員室に連行されていった。
2時間目の開始時、なぜか遠藤だけが教室に戻ってきたが、すぐに彼女も早退してしまった。

結局、ヤナガワサンには停学処分が下されたらしい。
遠藤について先生は言及しなかったので、個人的に居づらくなったので帰ったのかもしれない。

帰りの電車で、考えがまとまらないまま、ぼくはSNSを開いた。

――学校で抜き打ちの持ち検された。今時、人権的にどうなの。化粧なんてみんなしてるのに、先生に嫌われてる人だけ化粧品没収されたし

ぼくは何の立場でこんなことを書いたんだろう。
ヤナガワサンや遠藤の心情を代弁したつもりなのだろうか。
確かに、自分は何らかの罪滅ぼしのために動いている気がした。
そもそもこれが何の罪なのか、知りたいとも思っていた。

そもそもの問題として、ヤナガワサンと遠藤に落ち度があるのは確かなのだ。
ルールを破った者に対しては、通常認められている人権が制限されうる。
当然の話だった。

しかしその原則と、ヤナガワサンらの人権が強権的に制限されていく場面をただ眺めていたぼくの行為とは、また別の次元の話であるようにも思った。

昼休みの部室棟で、ぼくは再び邪魔されることのない時間を手に入れた。
ヤナガワサンたちがタバコを吸いにくることもないし、先生が見回りにくることもない。
ぼくは阿呆のように漫然とパンを咀嚼していた。
ぼくを巻き込んでいた嵐が過ぎ去ったようだった。

期末テストまで2週間を切り、ヤナガワサンが停学処分になったことも、強制的な持ち物検査のことも、クラスの誰一人として気にする者はいなくなっていた。
テスト勉強で切羽詰まっているのでなくても、自分とは関係のないトラブルに巻き込まれた、くらいのものだったのかもしれない。

 

遠藤は結局、ヤナガワサンの停学が明けるまで学校に来ることはなかった。
それだけ授業を受けていなければ、今度のテストに期待できるはずもない。
遠藤に対する矢川先生の措置は、はっきりと遠藤を淘汰される側に位置づけたのだ。

2年生に進級するとき、きっとヤナガワサンも遠藤も、この特進クラスからはいなくなってしまうだろう。
ヤナガワサンはともかく、遠藤がそれを望んでいるとは思えなかった。
ヤナガワサンとつるんだのは、彼女なりにクラス内での位置を得ようとした結果であって、適応を求める一つの形だったのではないか。

喫煙は明確に処分の対象なのだから、ヤナガワサンとタバコを吸っていた時点で、不利な扱いを受けることは想定しておかなければならない。
それは当然そうなのだけれども、ヤナガワサンに気に入られなければ居場所がなくなる。

遠藤がもしそのような観念に囚われていたとするなら、その後の処分や成績のことまで想像して行動しろ、というのは厳しい要求であるように思えた。
ぼく自身、点数という明確な拠り所を失えば、それこそ帆の折れた船のようになることだろう。

そもそもなぜ遠藤が孤立したのかがわからないから、ぼくは遠藤が淘汰されていく過程に対して何も言うことができない。
けれども、持ち物検査における遠藤への措置は明らかに不当であって、学校側が淘汰する対象をあらかじめ決定していたとしか思えないやり口だった。

学校としての記録にはただ、遠藤の成績が2学期になって急落したことと、校則で禁止されている物品を持ち込んでいたことだけが残るのだろう。
けれども遠藤にとっては、あの持ち物検査が人生の分岐点となってしまうことだって十分に考えられるのだった。

 

誰かが淘汰されていく、その過程の裏に、主観的な感情のしがらみとか個々の思惑とか、恣意的な者が潜んでいるというのは恐ろしい話ではないか。

 

……いやむしろ、淘汰の原理そのものが、そのような恣意性にもとづいているのだろうか?


[連載小説]像に溺れる

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