体制側に留まる諦念の文学者森鴎外——反自然主義文学の潮流④

前回は、修善寺の大患以降の漱石を通して反自然主義文学の潮流を見てきました。
今回は、そんな漱石とともに独自の世界観を築き上げた巨頭、森鴎外を見ていきたいと思います。

浪漫主義文学者として出発した初期の森鴎外


時代は遡り、明治22年。
その前年に陸軍軍医としてドイツ帝国陸軍の衛生制度調査のために留学していたドイツから帰国した森鴎外は、アンデルセンの原作を訳した『即興詩人』、訳詩集『於母影』など、外国文学の翻訳から浪漫主義の文学者としてその文学活動を開始します。

そして明治23年、ドイツでの恋の経験に基づいて執筆された『舞姫』『うたかたの記』、翌明治24年『文づかひ』といった三つの小説(ドイツ留学三部作)を発表。

 

教科書にも多く収録されている『舞姫』は鴎外自身の体験が投影されていると言われています。

この作品の中で鴎外は、主人公である太田豊太郎の姿を通して現地で出会った踊り子エリスに翻弄されながら揺れ動く近代的自我に目覚めていくさまを見事に描き出します。

舞姫

主人公の太田豊太郎がドイツ留学時代を回想した手記の形をとる。
ある日、教会の前で出会った美少女エリスに心を奪われて交際するようになり、それがために職を失うことになる※。
その後、再び職を得る機会に恵まれ、友人の忠告もあってエリスとの関係を断とうとするものの、エリスの妊娠が発覚。
その後も学問や出世と帰国、エリスとの恋などさまざまな選択肢の間で苦悩することになる。※当時は日本人と外国人の恋愛は考えられなかった時代であり、さらには省の命令で留学した者が現地で恋愛にうつつを抜かすなど許されない事態であった。

 

このように、浪漫主義の文学者として出発した鴎外ですが、その後しばらくの間、自ら「隠流」と称して筆を置くことになります。

 

明治40年代の森鴎外


明治42年、鴎外は家庭内トラブルを口語体で描いた短編小説『半日』で創作活動を再開した鴎外は、同年に発表された『ヰタ・セクスアリス』の中で次のような描写をしています。

金井君は自然派の小説を読む度たびに、その作中の人物が、行住坐臥ざが造次顛沛てんぱい、何に就けても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果してそんなものであろうかと思うと同時に、或は自分が人間一般の心理的状態をはずれて性欲に冷澹れいたんであるのではないか、特に frigiditas とでも名づくべき異常な性癖を持って生れたのではあるまいかと思った。

主人公の金井湛君の性欲の歴史を冷静に回想した形をとった本作ですが、その出発点として性欲を中心に位置付けた自然主義小説に対する懐疑というものを設定するのです。
さらには、

しかし恋愛を離れた性欲には、情熱のありようがない(後略)

と、性欲に溺れることのなかった金井君の姿を描きます。

こうして、性欲を中心に人間のありのままの姿を描こうとする自然主義小説に対して明確に批判する態度を表しました。

さらには、長編小説『青年』の中で、鴎外は理性が本能よりも優位であるという態度を示して暗に自然主義に対する批判を込めるなど、漱石と並んで反自然主義の立場を取ることになるのです。

 

大逆事件と森鴎外


明治43年森鴎外を見ていく上で欠かせない事件が起きます。

幸徳秋水をはじめとする多数の社会主義者・無政府主義者が明治天皇暗殺計画の容疑で検挙、うち12名が処刑された「大逆事件」です。

 

鴎外は陸軍軍医のエリートという体制内部の側にいながら、この事件に際して政府が思想や学問を弾圧することに強い危惧を示し、言論の自由を訴えていきます。

たとえば、明治45年に発表された『かのやうに』という作品。

「それでは僕のかく画には怪物が隠れているから好い。君の書く歴史には怪物が現れて来るからいけないと云うのだね。」
「まあ、そうだ。」
「意気地がないねえ。現れたら、どうなるのだ。」
「危険思想だと云われる。それも世間がかれこれ云うだけなら、奮闘もしよう。第一父が承知しないだろうと思うのだ。」

 

当時の歴史においては、皇室の先祖が天降るところから語られる(天孫降臨)など、神話と歴史が重なっていました。
ところが、この作品の主人公である秀麿は、学者の立場からそれを認めるわけにはいかないものの、それを思うままに表現すると「危険思想だと云われる」可能性が高く、公表するわけにはいかないという葛藤に悩まされることになります。

 

他にも『沈黙の塔』という作品で思想・言論統制を直接的に批判する姿、『あそび』『食堂』『田楽豆腐』などの作品の中で描かれる主人公の木村の姿を通して、政府の思想・言論統制に抵抗していく鴎外の姿を読み取ることができるでしょう。

 

乃木希典の死


前回取り上げた夏目漱石が乃木希典の殉死に影響を受けたのと同様、鴎外も彼の死から大きな影響を受けることになります。

それがし儀明日年来の宿しゅくもう相達しそろて、院殿いんでん(松向寺殿)御墓前においてしゅよく切腹いたしそろことと相成り候。しかれば子孫のため事の顛末てんまつ書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。

と始まるこの作品は、興津弥五右衛門が殉死の前に記した遺書という形をとって乃木将軍の殉死を好意的に描き出します。

そして、この作品を端緒に鴎外は封建的な武士道世界を描く『阿部一族』『佐橋甚五郎』『大塩平八郎』『堺事件』など、歴史小説作家としての道を進んでいくことになるのです。

 

歴史離れ——史実からの解放


こうして歴史小説の道を進んでいく鴎外も大正3年の『安井夫人』以降、伝わっている歴史をそのまま描く「歴史其儘」から、ある程度自由に創作を加えて描く「歴史離れ」へとその作風が変化していきます。

これは『山椒大夫』『ぢいさんばあさん』、さらには安楽死の問題と「足るを知る(知足)」精神を描き、歴史小説ながら明治の現代小説としての側面を持つものとしても注目される『高瀬舟』、『寒山拾得』へとつながる大きな変化でした。

 

そして、『寒山拾得』の中で鴎外が示した盲目的に尊敬する者や「著意して道を求める者」を否定し、同時代に対する断念の態度が、その後の史伝『渋江抽斎』を最高傑作として完成させていくことになりました。


「大学受験の近現代文学史を攻略する」記事一覧
第1回 明治初期の文学
第2回 写実主義と擬古典主義①
第3回 写実主義と議古典主義②
第4回 浪漫主義から自然主義文学へ――明治30年代の文学
第5回 自然主義文学の隆盛と衰退——島崎藤村と田山花袋
第6回 夏目漱石の登場——反自然主義文学の潮流①
第7回 低徊趣味と漱石が抱く近代の問題意識——反自然主義文学の潮流②
第8回 夏目漱石が描く「生きるべき時代の喪失」——反自然主義文学の潮流③
第9回 体制側に留まる諦念の文学者森鴎外——反自然主義文学の潮流④
第10回 耽美主義文学——反自然主義文学の潮流⑤

 


参考文献
浜田稚代(2010)「森鴎外と大逆事件 : 『あそび』『食堂』『田楽豆腐』研究」『富山比較文学』3集、pp.78-89、富山大学比較文学会
熊谷孝(1979)「森鷗外と”あそび”の精神 : 『あそび』『阿部一族』を中心に」『文学と教育』107号、pp.4-11、文学教育研究者集団
三好行雄(1975)『近代日本文学史』有斐閣
三好行雄(1972)『日本の近代文学』塙書房

 

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