#21権力の構造――像に溺れる

次の日、四時間目が終わって席を立とうとすると、早川が目の前に現れた。
はじめて話す気がするけれども、早川はとくに身構える様子もなく、淡々とした調子で話しかけてくる。

「グループチャット見た? 一緒の班だから、よろしくね」
「あ、うん、絵とか書けないけど、よろしく」
「そこはだいじょぶ、平山さんいるから。あとでパンフ班のチャット作ろうと思うんだけどいい?」
「うん、平気、よろしく」

久々に女子とまともな受け答えをした気がするけれども、特段緊張することなく応じることができた。
早川の言葉は事務的ではあったが、ヤナガワサンや遠藤と違って、ぼくのことを見下したりはしていないように思えた。

その日に作られたチャットグループで、パンフレットを仕上げる工程について早川から提案があった。

全体の構成を早川が行い、白沢がPCでレイアウトを調整し、美術部の平山が必要なイラストを用意する。
ぼくは最終的に誤字脱字をチェックする係らしい。

役割がずいぶん軽い気がするけれど、早川によれば「その分準備日の印刷で頑張ってもらうから」とのことだった。
ここで自分の裁量権を主張しても仕方がないし、イベントごとはそもそもぼくの領分ではないので、ぼくは大人しく早川の指示に従うのが得策だと考えた。

 

そのため準備日の前日、最終的なレイアウトが決まるまで、ぼくはグループチャットの蚊帳の外にいた。
意見を求められることもあったけど、ほとんどの場合ぼくに聞く前から早川のなかで答えが定まっているような内容に思えたので、なんとなくそれに即した無難な回答を繰り返していた。

それよりも気になったのは、早川に使役される平山の存在だった。

平山が用意したイラストに対し、肯定的なコメントをしつつもやんわりと修正を要求する早川を、ぼくはおそろしく感じていた。
平山は修正の指示に対して十分に納得はできていないようなのだが、仕方なく手直しを行い、けれどもそもそも納得していないのだから早川の意図を完全に反映することはできず、似たようなイラストを何度も描かされる羽目になっていた。

 

ぼくはその様子を傍から眺めながら、平山に申し訳ないような気分になり、なんだかメッセージに対して既読をつけることそのものが何かの罪に加担することのように思え、文面の裏に潜むさまざまな意図を感じるたびに、左手に不快な感触が蘇ってくるのだった。

一方、いつもつるんでいるだけあって、早川と白沢のパワーバランスは均衡しているようで、基本的には早川が具体的な指摘や提案をするのだけれども、白沢はそれを全面的に受け入れるのではなくて、別の角度からの妥協点を探り、自身の負担を軽くできるポイントに落とし込む技術を持っていた。
早川が提示するエッジの効いた提案を適度にいなし、滑らかな形状に収めていくといった按配で、早川の方でも白沢のそうした性質にある種の信頼を寄せているように見えた。

ぼくはそのような関係性を目の当たりにし、「社会に出た後」のことを考えずにはいなかった。
この権力関係は、法律とは別の次元で、しかも法律よりも強力に、人々の精神と行動のありようを定めているのではないかと思われた。

現実は法の言葉では掬い取れない権力関係から成り立っていて、ぼくはそのような関係性に適応する術を持っていないのではないか。

その不安は、文化祭前日の準備日に早くも現実的なものとなった。
ぼくはパンフレット1000部を印刷し、一人で折り込みをした。
早川と白沢は部活の方に用があり、平山は看板作りに借り出されていた。


[連載小説]像に溺れる
#0  像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊
#11 作られた像
#12 脱色と脱臭
#13 標本としての像
#14 抽象と具体の接点
#15 内面と世界の間の通路
#16 仮定法の世界
#17 罰による強制
#18 コバンザメ
#19 小さな変化
#20 個別のチャット
#21 権力の構造

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