#10 SNSの亡霊――像に溺れる

五時間目開始のチャイムが鳴っても、ぼくはそこを動く気になれなかった。
鼻腔にはまだ、煙たいバニラの粒子が残っている気がする。
オレンジのパーマといい、妖しいバニラの香水といい、彼女の像はぼくに受け止めきれないほどのリアリティをもって刻みつけられ、それなのにぼくの存在は、彼女の意識の表層をかすめてすらいない。

 

グラウンドから準備運動の声が聞こえはじめて、ぼくはようやく自分がいま、サボりと呼ばれる状況にいることに気づく。
サボる、フケる、バックレる……それらは今までぼくに縁のなかった言葉だ。
やはりヤナガワサンの香りには、毒物に類する何かが含まれているに違いなかった。

毒された肉が、醜く腐り落ちていく。悍ましいはずのイメージに、ぼくはなぜだか身を任せてしまってもいいような気になっていた。
所詮、ぼくは特別な存在などにはなれないのだ。
ぼくの存在そのもの、ぼくを取り巻くあらゆるものが、下らないものであるように思えた。なにもかも、なくなってしまえばいい、そういう思念すら重たく感じる。

どこか、自分のいないところへ行きたいという気になって立ち上がってみると、足はぼくの気分を顧慮することなく、おのずと教室に向かいはじめる。
習慣に支配されているようで胸が悪くなるが、抗おうとする気力も湧かず、結局そのまま教室に戻ることになった。

 

英語の内川先生は、遅れて教室に現れたぼくに対し、温和に事情を聞こうという態度を見せた。
彼女がぼくを端から叱責しないのは、ぼくの生徒としての特性、クラスでもっとも英語の成績がいいということを彼女が認知しているからで、ぼくはそのとき、彼女のうちに形成されたぼくのそういう像について、なぜだか恥ずかしく思った。

腹痛を言い訳に事なきを得、ヤナガワサンの後ろの席についたぼくは、鼻腔を飽和させるその香りに、自分が萎れていくのを感じる。
教員に贔屓される側にいること、保身のための小さな言い訳、あらゆるものが、ぼくのつまらなさを示していた。

その日の帰宅後、ぼくは高校に入学してからはじめて、勉強に取りかかることをしなかった。

スマートフォンの電源を切ることなく、漫然とSNSを眺める。
誰一人としてフォローしていない、またフォローされてもいないアカウント。
日記のように使おうと思って始めたはいいが、すぐに虚しさを覚え、そのまま放置していたものだ。

すべてが下らなく思える。勉強ができるから何なんだろう。自分が存在してる意味がわからない

久しぶりの投稿は、当然誰の目にも触れることがない。
自分の存在意義を疑う亡霊の書き込みだ。
画面を消せば亡霊の自分が消失してしまうように思い、何を考えるでもなくSNS上のトレンドやニュースを眺めていた。

芸能人が自動車事故を起こし、怪我した相手を放置して逃げた。
元アイドルのママタレが大幅なダイエットに成功した。日本人メジャーリーガーがプレイオフゲームで好投し勝利した。

それぞれのニュースに、無数のアカウントが言及している。
それらはすべて借り物の言葉に見える。現実とつながったアカウントも、ぼくのように現実とは切り離されたアカウントも、すべてが同じように、平べったい言葉を発していた。

ただただ言及されたハッシュタグの数だけが、なにか意味のあるもののように順位づけられ、目には見えない巨大な共有意識の動向みたいなものを表していた。


[連載小説]像に溺れる
#0  像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊

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