#14 抽象と具体の接点――像に溺れる

電車に乗っている間に、ぼくはポジティブな像を一つ作り出そうと思ったのだけれど、ポジティブな人間がよく使う言葉がなかなか思いつかない。
友だち、元気……そうした言葉ではネガティブな書き込みも抽出してしまう。
嬉しい、楽しい……これはリプライの際に用いられる社交的な表現が多い。
大切……ポエムのような、自分に語りかけるような、閉じた印象を与える書き込みだらけだ。

そもそも、ポジティブな人間はこのような場を使うことがないのだろうか。
いや、そんなはずはない。ぼくがポジティブな人間から発されうる言葉について、想像できずにいるだけなのだ。

知っている流行り言葉をいくつか入力してみるが、その言葉を使うアカウントに共通するポイントを見出すことができなかった。
ごく短いセンテンスのなかで、その人がポジティブかどうかを見分けるのは難しいことに気づく。
否定的な言葉は当然ネガティブなニュアンスを含むのだけれど、肯定的な言葉は必ずしもポジティブではなくて、なにかいつもその裏側に、毒々しいものが隠されている気がするのだった。

そもそも、そこに「毒々しいもの」を読み取ってしまう時点で、ぼくは本性的にポジティブではありえないのだろうか?

 

途方に暮れたようになり、ぼくはなぜだか頭に浮かんだ「連帯」という言葉を検索してみる。
現実にあまり使われることのない、理念的な言葉がどう扱われているのか知りたかったのもある。
画面には法律に関する書き込みが散見された。
連帯保証、債務、任意整理……それらの文字が、言葉としての意味を欠いたまま、ただただ物騒な重みをもってぼくの意識を占めてくる。

それらはやはり、現実的な世界において生存空間を持つ言葉ではなかった。
連帯も、債務も、目に見える形で存在するのではなく、ただ概念として認識されているものに過ぎない。
けれどもそういう法律用語のうちに、なにやらネガティブでもポジティブでもない、中立的な無機性のようなものを感じ、妙に惹き込まれているのでもあった。

現実世界に具体的な対応物を持たない言葉。
そういう、もともと誰かの内面世界で構築されたような抽象的な言葉が、なぜだか現実世界の人間の行動を制限したり、脅かしたりする。
それはなにか、誰かが頭のなかでつくった化学式が、現実に誰かの役に立ったり誰かに危険を及ぼしたりするのに似ている気がする。
法律を恣意的に運用したり、化学を殺人の道具にしたりする人間はいるけれど、法律用語そのもの、化学式そのものは、現実的な色彩を持たない中立的なものだ。

内面世界における像が、閉じたまま消え去るのではなく、むしろ物質的なものよりはるかに強力に、現実に影響を及ぼす……なんだかそれは不思議な感じがした。
概念的な法律用語、プログラミング、化学式、設計図……構造そのものからなる透明な抽象体は、現実の世界にフレームを与える。
抽象と具体の接点。
それはぼくの内面と、世界との間の通路となるのではないだろうか。

 

考えてみれば、法律は社会生活のフレームだ。
そのなかでは、ぼくとヤナガワサンの違い、オシャレであるとか陰気であるとか、そういう個々の性質上の差異は問題にならない。
あらゆる個性は普遍性のうちに飲み込まれ、残されるのは棒人間みたいな、行為をなす骨格だけだ。

法律の言葉は、人間を骨格だけにする。
不思議とそれは、理想的な、混じり気のない像を形成するのに適している言葉だと思った。
それはぼくにとって、自分の内面世界を現実へと表出させる唯一の手段に違いないと、奇妙な確信が芽生えていた。


[連載小説]像に溺れる
#0  像に溺れる
#1 「適応」の行方
#2 場違いなオレンジ
#3「孤立」という状況
#4「像」の世界
#5 内面世界による救済
#6 注釈を加えているもの
#7 像の交錯
#8 淘汰されるべきもの
#9 空虚な像
#10 SNSの亡霊
#11 作られた像
#12 脱色と脱臭
#13 標本としての像
#14 抽象と具体の接点

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