大学受験の近現代文学史を攻略する②――写実主義と擬古典主義①

「近現代文学史ってちょくちょく出題されているけれど,出題数はそんなに多くないし,読解問題よりも配点は低いはずだし,あとで勉強すれば良いんじゃ…」
「近現代文学史は気合いで暗記すれば良い」

そんなイメージを抱かれがちな近現代文学史。
「覚えるだけ」と思ってもなかなか覚えられない近現代文学史。

苦手意識を持ちがちな近現代文学史にフォーカスした新シリーズ「大学受験の近現代文学史を攻略する」第二回。


前回は明治初期の文学として、啓蒙思想と戯作文学から政治小説と社会小説までの流れをざっと紹介しました。


第二回の今回は、写実主義と擬古典主義です。

近代文学の幕開け①――坪内逍遥と写実主義

時は明治一八年。

当時流行していた「改良主義」の影響を受けつつ、江戸時代から続いていた戯作文学の「勧善懲悪」を否定する坪内逍遥『小説神髄』が誕生します。
この『小説神髄』の中で坪内逍遥は、

小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ

と述べているように、文学の目標はあくまで「人間の内面を描く」ことであるとし、人間の感情をありのままに詳細に表現する「写実主義」を唱えました。

また、この論をただ唱えるだけでなく、自身の作品の中でもこの写実主義的な表現を試みます。
『当世書生気質』という戯作がそれです。

…戯作?

そう、『当世書生気質』は結局、戯作の域をることができなかったのです。
つまり、坪内逍遥が唱え、自身が実践しようとした写実主義も、この時点ではまだ成立したとは言えないわけです。

そして写実主義の成立は、彼の弟子二葉亭四迷の登場を待つことになります。

 

『小説神髄』が、文学の地位を「知識人の文学」へ高めた


自分で試みたものの失敗に終わったとされる写実主義。
では、この試みは無価値だったのかと言えば、当然そんなはずはありません。

それを語るためには、当時の文学をめぐる風潮に目を向けてみなければなりません。

当時の小説といえば、前回紹介した「戯作文学」や「政治小説」「社会小説」が中心の時代。
文学は一種の娯楽に過ぎない、非常に低い地位にあったのです。

そんな中、東京専門学校(現:早稲田大学)の教壇に立つ坪内逍遥が真剣に戯作を論じたことは、その後の文学の発展に大きな影響を与えることとなります。

つまり、坪内逍遥の試みが、文学を娯楽としての低い地位から「知識人の文学」へ、その地位を押し上げていったのです。

ここに、近代文学の幕開けを見て取ることができるのではないでしょうか。

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そういえば、早稲田大学には「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」という施設がありまして、学生時代の私もよく通っていた記憶があります。そんなことを、この記事を書いている最中にふと思い出したので検索してみたらこんな記事を発見しました。「エンパク」について興味のある方はこちらをお読みになることをお勧めします。

 

近代文学の幕開け②――二葉亭四迷の登場


さて、坪内逍遥の『当世書生気質』では成立したと言い切れる段階に到達しなかった写実主義。その後は一体どのような流れをたどっていくことになるのでしょうか。

坪内逍遥の手によって知識人たちに拓かれた文学。その影響を強く受けた人物の中に、二葉亭四迷という人物がいます。

彼は坪内逍遥の理論に対しては多くの疑問をいだいていたものの、一方でやはり大学の教壇に立つ文学士が小説を正面から論じたことに感銘を受け、坪内逍遥のもとを訪れます。
数々の疑問を質すために。

二葉亭四迷といえば、ロシア文学を通してリアリズム論というものを体得していた人物。

彼は『小説総論』の中で、「形を持たない真理を、実物を通して目に見えるように描く」ことを目指す小説論を提唱し、明治二十年六月には小説『浮雲』を発表。

ここに日本初のリアリズム小説と呼ばれる作品が生まれたのです。

 

二葉亭四迷『浮雲』と言文一致体

そしてこの『浮雲』は「言文一致体」の文学としても有名です。

言文一致体
見書き言葉に話し言葉を取りいれることで生み出された新しい文体。

今となっては「言文一致」、つまり普段話すときに使っている話し言葉と文章で表現するときにそれほど差がない状態というのは当たり前のように思えるかもしれませんが、当時の文体では、話し言葉と書き言葉が乖離していました。

二葉亭四迷はこの『浮雲』の中で「言文一致体」と呼ばれる新たな文体を試みます。
そしてこれが「言文一致運動」へと続いていくのですが、そのお話はもう少し先でまとめていきますね。

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擬古典主義――硯友社の登場

坪内逍遥が『小説神髄』を著した明治一八年、もう一つ近現代文学史上見逃すことのできない大きな動きがありました。
日本初の文学結社「硯友社」の創立です。

本社は広く本朝文学の発達を計るの存意に有之候得ば恋の心を種として艶なる言の葉とぞなれる都々一見る物聞く物につけて言出せる狂句の下品を嫌はず天地をゆさぶり鬼神を涙ぐまするなどの不風雅は不致ともせめては猛き無骨もののかどをまろめ男女の中をも和らく事を主意と仕候。

(硯友社機関紙「我楽多文庫」第一号による)

尾崎紅葉、山田美妙らを中心とする、大学予備門に通うエリートたちによって創設された硯友社。

青江戸時代の戯作文学の伝統をはっきりと受け継ぐ彼らの文学が、西洋文化を積極的に導入していこうとする明治政府の近代化政策を「欧化主義」として批判し、日本古来の伝統的な文化や生活を重視することを主張する「国粋主義」の高まりとともに台頭していくことになります。

もっとも、彼ら自身は坪内逍遥の影響を受けるようになっていくのですが…それはまた次回のお話ということで。


「大学受験の近現代文学史を攻略する」記事一覧
第1回 明治初期の文学
第2回 写実主義と擬古典主義①
第3回 写実主義と議古典主義②
第4回 浪漫主義から自然主義文学へ――明治30年代の文学
第5回 自然主義文学の隆盛と衰退——島崎藤村と田山花袋
第6回 夏目漱石の登場——反自然主義文学の潮流①
第7回 低徊趣味と漱石が抱く近代の問題意識——反自然主義文学の潮流②
第8回 夏目漱石が描く「生きるべき時代の喪失」——反自然主義文学の潮流③
第9回 体制側に留まる諦念の文学者森鴎外——反自然主義文学の潮流④
第10回 耽美主義文学——反自然主義文学の潮流⑤

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