古く飾り気のないそのホームページは、インターネット普及期に個人がマニュアルのまま作ったような安っぽさを感じさせた。

市議会議員である芝原の父が、学校に対して圧力をかけたのではないかという疑念に導かれ、ぼくはその公式ページを訪れたのだった。
けれども即座に、そのサイトの訴求力のなさに肩透かしを食らったのだ。

白髪交じりの貧しい頭に、痩せた顔に対して大きすぎる眼鏡、張りのなくなった皮膚……サイトのトップには、低画質の初老男性の姿が掲げられている。
「プロフィール」のページに飛ぶと、不気味な赤い鳥の着ぐるみとの2ショットが掲載されていた。

着ぐるみばかりが目に入り、薄緑色の木の実のような目玉と、扇形の黄色いくちばしがサイケデリックで、なにやら宇宙から来た虫のようにも見える。
いつだかのゆるキャラブームに乗じて作成されたマスコットなのかもしれないが、いかにも人の血を吸いそうな顔をしていて、地域振興に貢献しようという気は微塵も感じられない。

芝原の父は眉を垂らしながら作り笑いを浮かべている。
顔の半分に影が差していて、不気味な鳥に魂を啄まれてしまったのではないかと心配される。
侵略してきたエイリアンに、人質にとられているようにも見えた。

なんだか申し訳ないような気持ちになって、「制作・実績」と題されたページを見てみる。
「子どもがスクスク育てる街」が大目標として掲げられ、小中学校の通学路にガードレールを設置したり、校内のエアコン台数を増やしたり、といった施策に関わった実績が掲載されていた。

総じて、彼は地域貢献活動に取り組む「気弱なおじさん」であり、学校に圧をかけられるほどの人権ゲージは持ち合わせていないように見えた。
勝手に腹黒い政治家のイメージを抱いていたことについて、芝原に対しても罪悪感が生じる。

しかし、画面を閉じようとしたところで、活動実績の年号に目が留まった。
ガードレール設置は、ぼくが小学校に上がる1年前。
エアコン増設はぼくが小学校2年生の時に行われたらしい。
その他、小中学校の環境整備に関わる活動は、ちょうどぼくがその段階を過ごしている最中に実施されてきたようだった。

一度晴れたはずの疑念が急速に凝り固まって、眉間のあたりで熱を発した。
抗うことのできない信号を脳に送り込むマイクロチップめいて、思考が特定の方向に押し流されていく――やっぱり、そうだったじゃないか。さらに決定的な証拠を見つけなければ。


一方で、地域に貢献する気弱なおじさん、というイメージに縋りたい自分もいるのだった。子どもの成長に合わせて、問題として目に付くポイントも違ってくるのは当然だった。我が子を利そうという心情がなくても、自然と「子育て目線」にはなるだろうし、そもそも施策としては多くの人の役に立っているではないか。

それでもやはり、「あの持ち物検査の裏に芝原の父の働きかけがあった」という疑念は解消されなかった。芝原の父には、我が子の生育環境に対する目線があり、さらに政策を通してそこに働きかけることができる。条件としては揃っているのだ。

しかしここから、ぼくは何をどう確かめればいいだろう? 仮に確証を得られたとして、ぼくに何ができるというのか。もともとクラスからはみ出していたヤナガワサンと遠藤が不当な扱いを受けたということに、一体誰が関心を寄せるのだろう。

それから、授業やホームルームで発言する芝原の確信に満ちた声が、ぼくのこっそり抱え込んでいる疑念を糾弾しているように響くようになった。
仮にぼくの疑念が事実に根ざしたものであったとしても、「ぼくの事実」は彼女のトーンによって容易に破壊されてしまうように思えるのだった。


[連載小説]像に溺れる

第1
第2
第3

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメントは利用できません。

ページ上部へ戻る