#94 陰翳――像に溺れる【ANOTHER STORY —ヤナガワ—2】

部屋には潰れた空き缶が散乱し、ツマミとアルコールの臭気が充満している。
酔ったナカモトはやたらと饒舌になり、老人の家のテレビみたいなボリュームで、ヨネザワと自分、そして教団をとりまく関係について語った。
しかしその内容は要領を得ず、さらにヨネザワがいちいち話の腰を折るので、伝わってくるのは黒塗りの公文書みたいな情報だけだった。
確からしくなったのは、ヨネザワとナカモトが共通の依頼主の指示で動いていることと、どうやらその依頼主が、いくつかの教団を支持母体とする政治組織と敵対関係にあるという、おおよそ想像のついていた内容だけだ。

話を遮られつづけたナカモトはそのうち痺れを切らし、ヨネザワにケンカをふっかけ出した。

「こいつ、普段から『過去の話はするな』なんて息巻いているだろう。ふざけた話だ。人間は時間の構築物だよ。なぁ、お前ら、騙されるなよ。こいつは過去が打ち消せないことを十分知っているのに、いや、むしろ知っているからだな。都合のいいことを言って、逃避を正当化しようとしやがる」

ヨネザワは額を手で覆い、視線を隠すような格好になっている。
頭が茹でダコみたいな色になっているから、単純に気持ち悪いのかもしれない。

「過去にすがりたい人間には理解できないだろう。過去は沼みたいなもんだ。力を入れるほど足を取られる。そうでしかない人間もいるんだ」

ヨネザワには珍しい、いかにも弱気なトーンだった。
気分のせいなのか、あるいは何か負い目でもあるのか、私にはわからなかった。

「違うね。おい、お前ら、お前らは親に捨てられたんだ。その事実を根っこに据えないと、お前らはお前らであれないんだよ」

唐突に哲学みたいなことを言われ、リアクションに困る。
カイドリを見ると、三角関数をはじめて教わる猿のような顔をしている。
おそらく私も、似たような顔をしているのだと思う。

「人格の根っこなんてもんが、そもそも嘘っぱちなんだよ。そんなもん、ボンボンとインテリの発明品に過ぎない」

ヨネザワは視線を隠したまま、下の方に向かって言葉を吐き出す。
なにやら自分に言い聞かせているようにも聞こえる。

「俺たちはそれぞれ、自分自身を引き受けなきゃいけないんだよ。それが事後的な構築物であれ、構築しうることそのものに、人間の希望と尊厳があるんだ」

トーンを落とすヨネザワと対照的に、ナカモトは語気を強めていく。
疑り深く陰気な印象とは打って変わって、確信に満ちた表情をしていた。

「そういうのが世間知らずだって言うんだ。取り繕えない絶望があるんだよ。物質的な絶望を、お前も見たことがあるだろう」

その後もずっと、互いの主張はすれ違い続け、次第に水掛け論の様相を呈していった。
収拾がつかなくなり、泥沼じみてきた空気に沈み込むように、ヨネザワはぐでんと眠りに入ってしまった。
ナカモトはそれからしばらく無口になって、最後に突然シラフに戻ったみたいに、鋭い目つきでこっちを威圧してくる。

「俺はガキが嫌いだ。いざとなれば、迷わず見捨てるからな。俺の目的は、教団の解体以外にない」

そう言い残し、魔法の解けたブリキ人形みたいに倒れて寝てしまった。

私はしばらく、ナカモトの「いざとなれば」について考え、誰も知らない場所で強制労働する自分を想像した。
それから同じように、親も祖父母もいない環境に、無邪気にも適応していくコーウのことを考え、それによって救われるかもしれない、さまざまな家庭の日常について想像した。
想像のなかの日常は美しく、けれどもそれは実際の顔をもたない抽象的なイメージでしかないようにも思え、そもそも、親元を離れた自分がなぜ、そんなことを慮る必要があるのかとも思う。
一番優先されなきゃいけないものについて、私ははっきり答えを見つけることができず、それは何かしらの形で今後、私が私であることに影を落とすような、そういう重たい予感が夜にのしかかってきた。


[連載小説]像に溺れる

第1
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第4
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