#42 赤色灯――像に溺れる【ANOTHER STORY―ヤナガワ―】

「てか腹減ったべ。どうする? おごるけど」

11時を回っていた。
暗闇でママが祈る姿が浮かぶ。
蛍光色の頭がそこにいるイメージがつかない。
シンプルに帰りたくなかった。

「焼き肉」

肉はママのいないところでしか食べられないから、桂木にタカろうと思った。

「あるわ」と高野が言い、桂木の方は少し焦って、「いや容赦ないわ、てかシャンプーできんやん、臭いつくやん」とその日もっとも中身のある言葉を発する。

「肉じゃなきゃ帰る」と言うと、「しばらくモヤシ覚悟だわ~」とか言いながら、駐車場の方にすごすご歩いていく。

テーブルがぺたぺた肘に張りついてやまない焼き肉屋で、私はひたすらカルビを食べ続けた。
口の中で赤身が申し訳程度にモソモソして、あとはもう全部、いかにも体に悪そうな脂身だけだ。

血にも肉にもなりそうにない粗悪な脂が、脳ミソにじんわり染みこんでいく。
食べれば食べるほどバカになる。
頭のギターもギトギトになって、音が出せなくなればいい。

煙がもうもう昇りつづけて、換気扇がポンコツらしくその半分も吸い込まないから、向かいの桂木と高野の顔がちらちらとしか目に入らない。
「脂身キツいわ~」「オッサンやん」と、世界のどこにでもありそうな掛け合いが、よそのグループからの声みたいに聞こえてくる。

別にそれは、桂木と高野でなくてもよかった。
逆に、桂木と高野であってもいいのかもしれないとも思った。
みんな、誰でもなくなればいい、みたいなことが浮かんで、脂でコーティングされた脳ミソの表面をツルツル滑った。

いつの間にか網には私のカルビしか載らなくなって、煙の向こうで桂木と高野は酔っ払っている。
たまに「学校にいい男いないのー?」「一緒に飲もうよ」みたいな声が飛んでくる。
大人は酒で、誰でもなくなることができる。

店を出て、桂木が「家まで送るべ」と言ってくる。
飲酒運転、と思うよりも早く、桂木とママが鉢合わせるイメージがよぎる。
電車はもうない。
歩いたら2時間かからないくらいだろうか。
胃の中で脂がぶるぶるいってる。

結局、考えるのが面倒になり、埃っぽい車に乗り込んだ。

暗い道をライトが頼りなく切り取っていく。
酔っ払った運転手のせいで、車が自信を失っている。
胃の中がぐるぐる回る。窓をあけ、JPSに火をつけた。
溜まった脂に、ヤニがいい感じで馴染んでいく。

「明日シフト入ってたっけ?」

桂木の言葉がぽつんと宙に浮いた。
「休み」と返すと、「いいなぁ、早番だわ」と独り言のようにつぶやく。
ここにいるのは、私でなくてもいいと思う。

いま、自分の髪が蛍光オレンジになっていることを思い出す。
私はあの、鏡の中の知らない女になった。
悪くない、と思う。

突然、真後ろからサイレンがけたたましく響く。
「黒の軽、止まりなさい」
拡声器ごしの、不快な骨伝導みたいな声。

「うーわ、やったわ」
桂木は舌打ちして、車を左に寄せる。
パトカーから警官が降りてきて、「危ないよ、すごいフラフラしてるのわかる? お酒飲んだ?」と矢継ぎ早に迫る。

「すんません。この子が終電逃しちゃって」
言い訳のダシに使われた。
ゴウがないと思っていたのは、私の思い違いだったらしい。
桂木は女と付き合っても、ボロを出すのが早そうだ。

「関係ないよ、かえって危ないでしょ。とにかく息、測りますんで、ここにフーッて」

桂木は素直に指示に従った。
呼気を採取される桂木。
その姿から、途端に桂木が犯罪者らしく見えてくる。

「あー、酒気帯びだね。ちょっとパトカーに乗ろっか。助手席の子、別の人がこっち来るからね、ちょっと待ってて」

一瞬、埃と煙くさい車内に取り残される。
今日は一体、なんだったのか。
頭の中で、自分が自分を探している。

さっきとは別の警官が車に入ってきた。
存在感の薄い若い男で、これで人のゴウを取り締まれるのか心配になる。

「ちょっと話聞かせてくださいね。飲酒は一緒に乗ってた人も罪になるから」

存在感のわりに、言い方にはトゲがあった。
免許はあるか、身分証はないか、と聞かれたあたりで、ようやく「もしかして未成年?」と私の顔をはっきり見てくる。

こうなると、ここにいるのは誰でもいい、というわけにはいかないみたいだった。
警官はまっすぐ、私が何なのかを見極めようとしていたから、私ははっきり私でなきゃいけないらしい。

けれど、表向きに出品できる自分がどこにあるのか、いまいちよくわからない。
親について聞かれ、ママと、パパみたいな人がたまに、と答えると、食い気味に「シングルマザーってこと?」ときて、その時だけ自分が浮き彫りになる感じがした。

結局、桂木は切符を切られた後に運転代行を呼んで帰っていった。
私はママに連絡されて、しばらくしてママは暫定パパの車で迎えに来た。
やっぱり警官の前では普通の人みたいに、ペコペコ頭を下げていた。


[連載小説]像に溺れる

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