#36 供え物――像に溺れる

部屋の中でポケットから取り出したヤナガワサンのタバコは、一切ぼくと打ち解ける気がないように見えた。
学習机に置かれた黒いパッケージは、あからさまな異物として周囲の参考書を威嚇していた。

箱の中には、タバコ5本と、金属製のライターが入っていた。
ひんやりと硬質な手触りはますます銃を想起させ、ぼくはもうこの部屋が以前と同様にはありえないだろうと直感した。

しばらくぼくは机上のタバコとライターを眺めていた。
ライターの鏡面に歪んだぼくの顔が映っている。
ヤナガワサンがこのライターを使うとき、彼女の顔も同じように歪むのだろうか。そうではないような気がした。

ライターのフタを弾くと、キン、と小気味のいい音が響く。
きっとこの音に無関心なまま、ヤナガワサンはタバコに火をつけるのだろう。
カシュ、とフタが閉じられる。
シンプルに切り替わる世界に彼女は生きているのだと思う。

左の掌にのせてみる。無機物の重さに、頼もしさを覚える。
それは腐り落ちることがない。
環境の影響を被ることなく、同じ表情を浮かべつづけることを、それ自身確信しきっているように見える。

それはいかにもヤナガワサンに似つかわしく思われた。
このライターは、彼女の手元にあるべきものだ。
けれども、返そうという気にはならなかった。

ぼくがそれを持っていることについての言い訳が立たない、というのではなかった。
ぼくはこれを自然に持っていることができる、という確信があった。この金属の感触が、今のぼくには必要な気がしたのだ。

翌日から、ぼくはライターをスラックスの左ポケットに入れて登校するようになった。
停学から戻ったヤナガワサンを目の前にしながら、不思議と罪悪感は抱かなかった。

お気に入りの選手のホームランボールでも手にしたのだろうか。
ポケットの中のライターに触れれば、いつでも腐敗のない世界へと離脱できる。
そういう安心感があった。
誰にどう思われようと、この四角い金属を握っていれば、ぼくの形も保たれるように思われた。

期末テストを翌週に控えた水曜、芝原から頼み事をされた。
期末テストの予想問題を作らないか、という申し出だった。
有志で主要科目の問題を作成し、クラスに配る。作成する側も全体を俯瞰しながら内容を整理できるし、不安を覚えるクラスメイトにとってはいい演習の場が増える。
メリットを確信した態度で芝原は説明した。

「梶谷君の協力が得られれば、予想問題の信頼性も高まると思うんです」と芝原は付け加えた。
自分が疑っていた対象から、好意的な評価を与えられ、ぼくは混乱していた。

しかし、頼むにはタイミングが遅すぎるのが気になった。
段取りに優れた芝原が、こんなギリギリで頼んでくるだろうか。

「結構、要望が出てるの?」
「今回は切羽詰まっている方が多いようで、今週に入って数名から相談されました。予想問題を直接要求されたわけではありませんが、生徒側にできる対策として考えられるのはこのくらいかと思います」

毅然とした口調に、「試験勉強を妨害するつもりでは」という疑念が叩き割られていく。

ポケットのライターを握った。
硬質な感触。
小気味いい金属音が頭の中に響いた。

それはシンプルに、ぼくに為すべきことを告げた。

「ぼくでよければ」と答えると、芝原は少し意外そうな顔をしたが、すぐに国・英に関する全科目を担当するようぼくに指示した。

ぼくは2日のうちに担当分の問題と解答を作り終えた。
異様に神経が研ぎ澄まされ、なにやら外部と遮断された、硬く冷たい空間にいるみたいだった。
机の上部の本棚部分に設置したタバコとライターが、ぼくの精神を全面的に律している。

この問題は、供え物だ。

クラスへの貢献などどうでもよかった。
もし、ヤナガワサンがこれを使って少しでも点数が伸びるのであれば、ぼくのうちに吹き溜まっているあれこれが、一斉に成仏してくれるように思った。


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