見知らぬ人間に囲まれた環境に、コーウはあまり不安な表情を見せなかった。
親を求めて泣き叫ぶものかと思っていたが、はじめからそうだったみたいに、コーウはすんなりこの状況を受け入れていた。
子どもの性質がそもそもそうなのか、コーウが特別こういう環境に耐性があるのか、私にはよくわからない。
コーウは立てるようになってから間もないようで、ソファーや壁を伝って横歩きを繰り返していた。
あらかじめ練習のプログラムがインストールされているのか、伝い歩きが最大の生きがいみたいな顔をして、決まった区間を行ったり来たりしている。
二週間が経つ頃、コーウは支えなしで十歩ほど進めるようになっていた。
本来その成長をともに喜ぶべき人たちのところに、コーウは帰らなければいけないと思った。
コーウが来てから、ヨネザワが電話で席を外すことが増えた。
それまで私の前でも気にせず話していたから、疚しいことがあるのは明白だった。
きっとそれはコーウに関わることで、この件はヨネザワにとってもイレギュラーな事態なのだろうと思えた。
疚しい意識の表れか、ヨネザワはコーウに触れることはおろか、ほとんど目を向けることさえしていなかった。
休みの日、マツシマに頼まれたベビーフードを薬局から買って帰ると、団地の広場でなにやら迷っているらしい初老の女性がいた。
私と目が合い、何度かこっちをチラチラ窺ったあと、すすっと忍び寄り住所の書かれたメモを見せてくる。
「すみません、この住所はこの辺りで合っていますか?」
なにやら銀行員みたいな、ずいぶんオフィシャルなトーンで話す人だった。
しかしメモに書かれているのが私たちの住む部屋番号であることに気付き、途端に何か、その女性が捜査官的な人なのではないかという想像がよぎる。
それはそれで、私たちが何をしているのかをハッキリさせるチャンスなのかもしれない。
「そうです、というか、この番号、ウチです」
私の答えに、女性の表情は少し険しくなった。
「あの、失礼ですけど、一歳くらいの子どもがいませんか? 孫なんです、私の」
切実な声だった。
全部正直に話してやろうと思った。
「います、二週間くらい前から」
「全然、事情がわからなくて。生まれた時から、一度も会わせてもらえてないんです。どうなっているんですか?」
「いや、私も、なんも聞かされてなくて、いきなり……すんません」
変な沈黙。
警戒と軽蔑と失望が入り交じっていた。
「いま、いるんですか?」
「あ、はい、いまメシ買ってきたところで」
また沈黙。
連れていけ、ということらしい。
ともあれ私も何かの情報が得られるかもしれず、そのまま部屋に戻ることにした。
玄関の向こうに立っていたのは、パツパツのスーツ姿でキモいスマイルを浮かべるヨネザワだった。
「ようこそ、タカユキ様から聞いておりますよ。どうぞ、お上がりください」
不動産会社の営業みたいな調子で語りかけられ、女性は調子を狂わされたような顔をしている。
ダイニングテーブルに座った女性のもとに、すぐさまマツシマがコーヒーを運んでくる。
ほとんど同時に、ヨネザワが名刺を渡して挨拶する。
「申し遅れました、私、所長の米沢と申します」
なんの所長だよ、と名刺を覗くと、なにやら児童養護施設みたいな名称が記載されていた。
「ご覧の通り、規模が小さいもんですから。もともと、中高生くらいの子だけで、こぢんまりとやっていたんですね。いま一緒に来られた、その子もそうです。しかしタカユキ様の事情を伺い、しばらく光有くんを預かることになりまして」
降ってわいたような設定で、話の筋が見えない。
「それより、光有は……」
その声が聞こえていたみたいに、奥の部屋からコーウを抱いたカイドリが出てくる。
私のいないところで、打ち合わせでもしていたのだろうか。
「あぁ、あぁ。やっと会えた。光有ちゃん。あぁ、ばぁばよ。わからないわね。ばぁば」
そういって、コーウに手を伸ばす。
コーウは少し体をこわばらせ、しかし無抵抗のまま、ばぁばのもとに引き渡された。
[連載小説]像に溺れる
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