意識が溶け出していくような暗闇のなか、反復される祈りの言葉。
光とともに距離が消え失せ、空間がひとつのかたまりみたいに感じられる。
自分の声も他人の声も無差別に、何層にも重なりながら集団の声となっていく。
声のトーンが上がっていく。
空気が震え、空間が熱を帯びていくのがわかる。
声のかたまりが、はたと止まった。
目の前の壇上で、巨大なスクリーンから光が放たれている。
建物から灰色の煙がもうもうと立ちこめている、工場地帯の映像。
汚れた排水路。
高速道路に連なる自動車。
海辺に打ち上げられたプラスチックの山。
環境汚染をイメージさせる映像が次々に切り替わったあと、核実験のキノコ雲が映され、画面が暗転する。
少し間をあけ、照明のあてられた舞台には、薄汚くしおれた花が一輪、ぽつんと置かれていた。
白装束に身を包んだ男が現れて、ゆっくりと舞台中央に歩みを進めてくる。
男が花を手にした瞬間、照明が切り替わり、スクリーンに日の出の光景が映し出された。
そのまま、倍速で昇っていく太陽が南中高度に達したところで、舞台の上空から白く巨大な球体が降りてくる。
それに向かって男が花をかざすと、球体はまばゆい光を放ち――男の手には、生き生きと蘇った花が握られている。
会場は歓声に包まれ、舞台の幕が閉じていく。
ヤナガワサンが学校を去った後、ぼくは彼女の親が信仰する宗教施設を訪れるようになった。
毎週土曜日に開かれる集会では、このような「奇跡」が演じられ、それにまつわる品が販売されていく。
今回であれば、大小さまざまなサイズの白い球体だ。
それは宗教というより、ライブイベントみたいなものだった。
けれども、そこで触れあう人々は穏やかで棘がなく、ぼくは居心地のよさを感じていた。
はじめてその施設を訪れたとき、ぼくを出迎えたのはヤナガワサンのいう「パパ候補」だった。
彼は「待っていたよ」といって、ぼくを「導師」と呼ばれる人物に紹介した。
「話を聞くといい」といって彼自身は去っていき、応接間のようなところに通されたのだが、実際に話しているのはぼくばかりだった。
導師はぼくの内面を見透かしているかのように、ぼくが学校や親に対して抱いている違和感や、自分自身のコンプレックスについての話を引き出した。
「人の目に映る現実は、ゆがんだ鏡越しの像みたいなものです。けれどもそれが真実でないと気づくことは難しい。あなたは気づき、真実を知ろうという勇気を持った。あなたは今の自分を受け入れられていないかもしれないけど、自分を知りたいという意思をしっかりと持っている。それはなかなかできることじゃありません。この場所で、色んな人に触れるといい。自己は暗闇です。他者は光です。触れあいを通じて、自分の姿も見えてきます」
導師はそう言って、ぼくに施設の見学を勧めた。
その日は春休み中の平日で、施設内では主に高齢の人たちが工作のワークショップのような催しに参加していた。
広い会議室のようなところで、10人ほどが机を並べ、粘土で何かをつくっている。
それは市民会館などで目にする光景と変わるところがなく、ぼくは少し肩透かしを食らった気分だった。
メンバーから参加を促され、ぼくもその輪に加わり粘土をこねはじめた。
隣の女性に話しかけられてから、いつのまにかぼくは話題の中心になっていて、終わる頃には自分について語るべき一切を語り尽くしてしまった思いがした。
話しているぼく自身が退屈に感じる内容でも、彼らはじっとぼくを見つめ、受容的な態度を崩さず聞いているのだった。
ぼくの粘土は干からびた南国の鳥みたいになってしまったが、彼らはそれぞれの作品に好意的に言及しあい、ぼくの鳥もプテラノドンに格上げされた。
そこではたしかに、ぼくは人格として扱われ、また誰もが人格として存在しているように思えた。
それから、ぼくはよくわからない見学者のような立場で、集会や催しに参加している。
正直なところ、ヤナガワサンがなぜこの場を拒絶したのか、ぼくにはよくわからない。
奇妙な儀式にしても、そのあとの物品販売にしても、何かのライブイベントと本質的に同じようなものだと思えてならなかった。
[連載小説]像に溺れる
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