#47 母の味――像に溺れる【ANOTHER STORY―ヤナガワ―】

ひっきりになしに、ピンの弾ける音がフロアに響く。
何かと何かがぶつかる音は心地いい。
誰の玉だろうが、衝突する瞬間は同じ音を立てるから。
物理は平等でいい。

桂木はあの後も普通に仕事に来ている。
「免許関係ない仕事でよかったすわ」と軽々しく言って回って、しかし意外と顰蹙は買っていない。
何も考えていないように思われることは、きっとすごく得なことなんだと思う。

さすがに私に対しては気まずいらしく、挨拶と業務連絡以外は話しかけてこない。
桂木にはちゃんと、飲酒運転を私のせいにする狡さもあるし、気まずさを感じる羞恥心もある。
それなのに、桂木は周りからゴウがないように思われている。

桂木にゴウがないことにしておいた方が、何かと都合がいいのかもしれない。
舞台装置的な意味で、そういう設定に合ったヤツが必要なんだろう。

桂木は川原の平べったい石だ。
軽くてよく水を切るから、投げていて気分がいい。
べつに貴重なわけじゃないから、誰も持って帰ったりはしない。

私は何だ?
どうあれ、持って帰りたくなるようなものではなさそうだ。

家に帰ると、台所からヤバい臭いが立ちこめてくる。
臭いというか、目にしみる。
唐辛子だ。

私がギョッとしていることに気づいたのか、ママが勝手に話しはじめる。
「悪い気と交わったら、汗を流した方がいいの。学校から電話があったわ。あなたの髪を黒くしなさいって。だめね、しるしが見えない人たちは」

タイガンサマ・マネーでの支払いが拒まれたことに憤っているようだ。
でも、ママがはっきり自分の感情で動くのは珍しかった。
不満や不安があれば、いつもそのときの暫定パパに縋って、言う通りにしてきたから。

しかも今回は学校が相手だ。
学校とか警察には弱かったはずなのに、停学だろうがお構いなしな雰囲気を醸し出している。
子に「しるし」があるかどうかで、こんな劇的に変わるものだろうか。

「そのままでいいからね。ほら、あなたも汗と一緒に悪い気を流しなさい」

いや、それじゃガチのやつじゃん。
背中の汗が他人のもののように感じられる。

……でも、ガチのやつってなんだ?
何がガチなんだろう。
ガチで芝居に入り込んでる人?
というよりも、芝居が本物だとガチで信じ切っている人、の方が近そうだ。

平たい皿に、ペースト状の唐辛子。
その下に生の大豆が敷かれている。
私は将来、「母の味」って言葉でこいつを思い出すことになるかもしれない。

口答えしたらヤバい気がして、ともかく一口食べてみる。
辛いけど、身構えたほどではなかった。
それでも汗は噴き出してくる。

クーラーはついていない。
暑い、というか熱い。

「ほら、お水も飲んで。どんどん体の中を循環させないと」
白地に金で「願」と書かれたペットボトルを差し出してくる。
怪しいけど普通の水。

唐辛子を食わされ発汗し、水分を補い辛味を流す。
プラマイゼロ。
だけど体内はお祭り騒ぎだ。

体の中で、古いものが新しいものに代わられ、新しいものはまた古くなる。
体は新しくなりつづけ、同時に古くもなりつづける。
忙しい渦を体内に飼いながら、私自身は新しくも古くもなりはしない。
ただただ私の意識だけ、重くだらりと伸びきったまま動かない。

ママはこのまま、ガチ勢になってしまうのだろうか。
これまでのママのすべては代謝され、新しいママとして再誕したのだろうか。

舞台装置。

私は舞台装置でなきゃいけない。
きっと私はママに、世界から忌み嫌われることを求められている。

自分にとって価値あるものが、周りからゴミ扱いされるほど、その価値は頑なになっていく。
だけど当然、それが普通に見てゴミであることには変わりない。


[連載小説]像に溺れる

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