#75 胸懐――像に溺れる

後藤への謝罪は、あっけないくらいにすんなり受け入れられた。
儀式の翌日、昼休みに入った瞬間、ぼくは後藤のもとに近寄った。
自分で驚くほど、一切のためらいなく、「捻挫させちゃってゴメン」という言葉が出てきた。
ぼくの確信は、太陽の女性の手の感触の確からしさに由来しているのかもしれなかった。

後藤は「いやいや、バスケあるあるだし、まじ気にしないで。てかもしかして、ずっと気にしてた? 全然いいのに」と快活に応えた。
その快活さは、もともと罪の意識がなかったみたいに、ぼくの存在を放免したのだった。

白沢のメッセージのことは気にならなくなっていた。
それはあの確からしさの前では、ひどく些細なものであるように思えた。

一方で、近づく試験への対策が思うように進まない。
なぜかはわからないけれども、何か、テキストを前にしたときの推進力のようなものが失われているように思えた。
一度伸びきってしまったゴムのように、神経は緩んだまま、収縮する方法を忘れてしまったようなのだった。

結果、ぼくはまた順位を落とし、クラスで4番目になっていた。
塾に通うようになったのに、成績を落としたことに対して、母への負い目を感じずにはいない。
予想される反応に辟易しながら、しかし、それは実際のところぼくの人格になんら影響しうるものではないとも思えるのだった。

実際、ぼくはその後しばらく、母から浴びせられる言葉や視線を受け流すことができていたと思う。
それはあの確からしいものに対して、あまりに相対的で、普遍性を欠くものだったから。

施設にいる時間が増えるとともに、和合の儀では「与える側」に立つ機会も増えてきた。
自分なんかがおこがましい、と思うけれども、目の前の人はたしかに誰かの手を必要としていた。
おそらく、誰かの手を必要としていない人などいないのだと思った。

ぼくの言葉は拙く、「一緒に頑張りましょう」程度のことしか言えないこともしばしばだったが、あの日ぼくの太陽だった女性のように、何かしら確からしいものを感じてもらいたいと思っていた。

みな、ぼくに「ありがとう」と言ってくれた。
それは通り一遍の挨拶などではなく、確からしいものに対する感謝であるように感じられた。
ぼく自身、与えられる側になったときには、いつもそうした感謝――個人を超えた、大きな関係そのものへの感謝――そういうものを、抱いてやまなかったから。

ぼくはそうしてはじめて、ヤナガワサンに会いたいと思った。
確からしいものを、彼女との間に結ぶこと、それはぼくが何を置いても果たさなければならない事柄であるように思えた。
いやむしろ、彼女に確からしいものを感じてもらうことこそが、ぼくの生きる意味だとすら思えるのだった。

けれども実際のところ、ぼくは彼女の消息について一切の手がかりを持っていなかった。
ヤナガワサンの「暫定パパ」はたまに目にするけれども、今どのような関係にあるのかは定かでなく、聞くのも憚られた。

ぼくは遠藤に思い至った。
特進クラスからはいなくなったが、無事に進級はできていた。
おそらく、一番距離が近かったのは彼女のはずだ。

いくつかクラスをまわって遠藤を見つけ、なりふり構わずヤナガワサンの手がかりを聞き出そうとした。
遠藤は例によって軽蔑的なまなざしを向けてきたけれども、周囲の目を気にしてか、案外すんなりヤナガワサンが働いている店の名前と、最寄り駅を教えてくれた。
「そろそろスマホ買うみたいだから、連絡先お前に教えていいか聞いといてやるよ」
目線を合わせないまま、遠藤はそう約束した。

いざ情報を手にすると、次の段階のイメージが押しつけがましく思考を占拠し、かえって具体的な行動に移れなくなってしまう。
彼女を前にしたぼくの感情のたかぶりも、ぼくを目にしたヤナガワサンの表情も、うまく想像することができなかった。

弛緩し、煩悶するぼくに釘を刺したのは、ほかならぬ母の言葉だった。
「なんか知らない書類が届いてるんだけど。これ、宗教団体よね」
筆で長々と書かれた文面には、遠回しにお布施を要求するような内容が書かれていた。
具体的な金額は書かれていないけれども、それは一種の請求書のようにぼくに映り、当然母の目にもそのようなものとして映っているはずだった。

「どういうことなの?」
刺すような問いかけに、ぼくは答えることができなかった。
握る手の確からしさは突如として瓦解し、事態を飲み込めていないのはむしろぼくの方なのだった。


[連載小説]像に溺れる

第1
第2
第3
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—
第4

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