#72 加害――像に溺れる

休み時間のさまざまな雑音から飛び出してくるみたいに、カチッ、と長針の音が鼓膜に響いた。
時間が進んだ、と思う。
本当に進んでいるのかはわからない。
ただ、音がしたのだから、時間も進んでいるにちがいない。

休み時間がやたらと長い。
罪状の宣告を待つ罪びとのように、ぼくは誰かから下される決定的な言葉を待っている。
それはすでに視線として、態度として顕在化しているようでもある。
けれども視線や態度は妄想に過ぎないかもしれず、明確な言葉以外にこの宙づり状態から解放してくれるものはない。

「合わない人っているじゃん、どうしてもさ。離れた方がお互いのため、的な」

後ろから白沢の声がした。
それまでの流れはわからなかったけれども、誰かを否定する意図は感じられた。
宛先不明の非難は、宙を舞ったまま着地点を見失い、少しずつ誰かを否定してまわる。
ぼくはその宛先が、はっきりぼくに向けられることを待っている。

体育の授業中、バスケットボールの試合で、ぼくはバスケ部の後藤を負傷させてしまった。
ジャンプした彼の足の下に、ぼくの足が入った。
後藤は音を立ててフロアに転がり、足を押さえてうずくまる。
苦悶する表情が、自分によって引き起こされたという事実を、ぼくはうまく理解できない。
ただ、横たわる後藤の姿に、右足が鉛のように重たく感じる。
球技が不得意であるのに、プレイに直接かかわる位置に立ってしまっていたのだ。

休み時間がやたらと長くなったのはそれからだった。
後藤のケガは捻挫であり、回復に2~3週間かかるらしかった。
彼自身は「部活休めるわ、ラッキー」と嘯いているけれども、当然それでぼくの罪が放免されるわけではなかった。

彼の捻挫が治らないうちに、球技大会が行われた。
特進クラスの人間はこのような催しに熱心ではなかったけれども、参加する以上は勝った方がいいに決まっていた。
結果は僅差で最下位だった。
「後藤がいればな」という声が聞こえ、あるいはそれはぼくの幻聴だったかもしれず、結局ぼくは断罪されることのないまま、形の定まらない負い目を抱え続けていた。

ぼくは自分の像がこれから、後藤をケガさせたという事実をもって形成されていくのだと思った。
鈍くさくて間の悪い人間。
役にたたないくせに、害をなす人間。
もともとクラスに話し相手がいなかったから、実際自分が周囲にどう映っているかの手がかりもなく、ひとりでに自分の像がねじ曲がっていく。

しばらく経ってから、なぜか白沢からメッセージがあった。
――めっちゃ気にしてるみたいだけど、だいじょぶ?

その前のメッセージは去年の文化祭の頃のもので、半年ほどが経っていた。
なぜ急に接触してきたのかわからないけれども、瞬間、すこし救われたような気になった。
苦悩していることが理解されるだけでも、荷が軽くなる思いがした。

返事に迷っているうちに、立て続けにメッセージが届く。
――スポーツ中の事故だし仕方ないよ。後藤もそれはわかってるでしょ
――でも、苦手ならおとなしく離れてた方がよかったのかもね

瞬間、ぼくは思わず硬直した。
それは的確にぼくの急所を突いた。
邪魔になることはわかっているのに、なぜボールの近くに行ってしまったのだろう。
あわよくば活躍できるかもしれないと、少しでも期待していなかっただろうか?
そして、この下心みたいなものが加害の原因となったことを、クラスの人間はみな見通しているのではないだろうか。

白沢がわざわざこのメッセージを送り付けてきた意味を、ぼくは考えたくなかった。
どうせなら面と向かって、はっきり糾弾してもらいたいと思った。

中間テストが1週間後に迫っていたが、それどころではなかった。
スマートフォンでコツコツと、右手人差し指の関節を叩いてみる。
ペンを握れなくしてしまえば、許されるだろうか。

思い切り左手を振り上げたけれども、結局それを振り下ろすことはできず、かわりにアリバイめいた力加減でゴツンと頭に打ちつけた。
額に手をあてると、ぬるく粘性のある液体が指にふれ、その感触はぼくを少し満足させた。


[連載小説]像に溺れる

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 ANOTHER STORY —ヤナガワ—
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