#95 架橋――像に溺れる【ANOTHER STORY —ヤナガワ—2】

上流のキャンプ場に車を止め、私たちは川沿いを下っていった。
川の表情は以前とはまったく違っていて、岩がゴツゴツ行く手を阻み、永遠に知っている風景にたどり着けないような気がしてくる。
ヨネザワのスキンヘッドが朝の陽射しを反射しているのが腹立たしく、その感情の動きから、まだ自分が正常であることがわかる。

森の中を迂回しつつ、1時間ほど進むと、林の影から向こう岸の大樹が見えた。
あの時のご神木だ。
いつの間にか敷地の中に入っていたらしい。

少し進んだところで突然、前を行くヨネザワが立ち止まった。
小声で「隠れろ」と促してくる。
木陰に身を隠すと、向こう岸の方から小さく足音が聞こえてきた。

「四人だ。紫の法衣が一人、黄色っぽいのが三人」
ヨネザワが報告する。
「紫が高位の人間だろう。まずいな、小屋の方角だ」

覗くと、四人は川を渡り、下流の方へと進んでいく。
黄色の三人はそれぞれ風呂敷に包んだ荷物を背負っていた。

ソロソロと移動するヨネザワのデカいケツを前にしながら、音を立てないようついていく。
「やはり森に入っていくな」
紫の男を三点で囲むポジションを維持しながら、僧たちは滑るように移動していく。
足場は悪いはずなのだが、なにか特殊な歩行法でもあるのだろうか。

「距離を保つぞ。どうせ目的地は同じだろう」

ナカモトの言葉通り、辿り着いたのは古い小屋だった。
物置に毛が生えたくらいの簡素なつくりで、狭い入り口から四人がぞろぞろ入っていく。

数分後、小屋から出てきた紫の男の腕には、小豆色と金色の布に包まれたコーウの姿があった。
そのまま、コーウを連れて引き返すらしい。

「あれは、戻ってくるのか?」
ヨネザワが背中越しに低く問いかける。
「服装からして、何かの儀式だろう。別の場所に移される可能性もあるな」
ナカモトは口元を手で覆い、頬を揉みながらボソボソ喋る。
「話が違うじゃねぇか」
ヨネザワが深く息を吐き出し、体内の循環をリセットするみたいに、また大きく吸い込んだ。
そうして、「とにかく追うぞ」と踏み出すヨネザワを、ナカモトが手で制した。

「誰かいるぞ」

振り返ると、一人の女が小屋の外に出て、連れ去られるコーウの方を見つめていた。
どこか恍惚とした表情にも見える。
女は一度、確かにこちらに目を向けたが、何も新しいものは映らなかったというように、視線をまたコーウの方に戻した。

ヨネザワはもう一度男たちの方を見やり、彼らがほとんど森林の影に隠れてしまったことを確認すると、ゆっくり女の方に近づいて行く。

「お前があのガキを預かっていたのか?」

ヨネザワの問いかけに、女は微動だにせず、腹話術人形みたいな口の動きで答える。
「あの子は、橋です。かけ渡す存在となるのです。ここは、その素地を傷つけないよう守る場所」
「あいつはこれからどこに行く?」
ヨネザワはヨネザワで、会話が成り立っていないことを気にも留めていない。

「今日、彼は世界と結ばれ、世界を結びます」
「もうここには戻ってこないのか?」
「結び目は解くことのできないものです。彼の中に世界が、世界のなかに彼が編み込まれるのですから」
ヨネザワは頭をポリポリ掻いたあと、無言で女の横を通り抜け、小屋の中に入っていった。
女はヨネザワを目で追い、しかしその場から動こうとはしない。

「お前以外に、この役目を担っている人間はいるか?」
今度はナカモトが女に問いかける。
「私、というものはありません。まず定めがあり、それは与えられ、共なる命をつくります」
「他の小屋にも子どもはいるのか?」
「彼らは数を有する存在ではありません。私たちも等しく、肉体は器に過ぎないのです」

ヨネザワが小屋から出てきて、ナカモトに向かって首を振る。
「もぬけの殻だ。食器ひとつありゃしない」
「面倒だな。別の小屋にガキが監禁されていないか、確かめる必要がある」
「お前はそうしてくれ。俺はコーウの後を追う」

そう言って、ヨネザワは男達が消えた方向に進みはじめた。
後を追おうとすると、ナカモトが「おい、どっちか残れ。この女を見張っておけ」と止めてくる。
寸刻、カイドリと顔を見合わせていると、ヨネザワが私に呼びかけてきた。
「来たことあるんだろ。お前が来い」
踏み出した足の先から、コーウの人生を左右してしまうことへの慄きが、私のなかでいちばん鋭敏な神経をとおって伝わってきた。


[連載小説]像に溺れる

第1
第2
第3
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—
第4
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—2

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