#28 適応の形――像に溺れる

部室棟付近を先生が見回っていることをヤナガワサンたちに告げてから、昼休みに二人の姿を目にすることはなくなった。
彼女らと入れ替わりに、毎日違う先生が回遊魚のようにそこを訪れてはぼくの方を見やり、つまらない海藻を目にしたみたいに視線を外すのだった。

遠藤から「古賀」と呼ばれた先生が来たのは最初だけだった。
複数の先生たちの目に触れてしまったことで、孤独にパンを頬張るぼくの惨めな姿が職員室の話題になったりしないか不安にも思ったが、ぼくはそれよりも、タバコ部屋の密告と見回りとをめぐる事の成り行きを見届けなければならないような気がしていた。
遠藤のうちに、白沢に対しての疑いの芽を育ててしまったからには、密告が本当に白沢によってなされたのかどうか、ぼくは知らなければならないと思ったのだ。

白沢も、遠藤も、当然ヤナガワサンも、教室での振る舞いに変わったところはなかった。
草食動物と魚の生態が交わらないように、白沢と遠藤は目を合わせることもなく、切り離された圏域の中で生きているみたいだった。

2週間が経ち、見回りの頻度は減っていった。
このまま疑いが晴れ、不気味な冷戦状態から自分が離脱できることを期待したのだけれども、そううまく事は運ばなかった。


その日の昼休み、部室棟にやってきたのは他ならぬ白沢だった。
身体は中学生みたいに小柄なのに、歩み寄ってくる姿には軸の座った凜々しさがあった。
その大人びた印象が、髪型の変化によるものだと気づく頃にはもう、白沢はぼくの目の前まで近づいてきていた。

「まだここで食べてるんだ」

輪郭に合わせて計算されつくしたようなショートボブのシルエットに、ぼくは自分の成長のなさを咎められているような気分になる。
掌に収まってしまいそうな小さな顔には、人懐っこさが全面に浮かんでいるのだけれども、一方でいつでもあの鉄仮面へと変移する可能性が潜んでいるように感じられた。

「先生が見回ってること、二人に教えた?」

柔らかい表情を崩すことなく彼女は言った。
けれどもぼくが次に発する言葉に対して、彼女が物騒なセンサーのスイッチを入れたことはぼくにも明らかだった。

「教えたけど。白沢さんに、何の関係が」

彼女は小さく、ふっと溜め息を漏らした。
何かがセンサーに触れたのだと身構える。

「先生にこっちが疑われちゃったよ。『ほんとにいたのか』って。言い訳に聞こえるかもしれないけど、私が告げ口したわけじゃないんだよ? 部活の前に香莉奈と話してたら、いつのまにか先生に聞かれてて……」

哀願するような表情が白々しかった。
先手を打って放たれたその言葉は、その後のぼくのあらゆる攻撃を無効化する防護壁にちがいないと、ぼくは根拠もなく断じていた。

「そもそも、人に話すようなことじゃないと思うけど」
「うーん、人に話すようなことって何? 梶谷君、一人でお昼食べてる人が言えることじゃないよ」

白沢の表情には余裕があった。
鉄仮面にならずとも、ぼくのことなどあしらえるのだ。

「誰かをダシにしなきゃ成り立たない関係とか、必要だと思えない」
「そう考えるのは勝手だけどさ、他人に強制できることじゃなくない? てか、なんで私に怒ってるの?」
「わざわざ排除してるように見える」

今度は大きく、白沢は溜め息をついた。
なんだか、そういう役を演じているみたいだ。

「排除っていうかさ……自分で輪から外れようとしてるじゃん。それで『排除された』はおかしいんじゃないの?」


役を持たないぼくは、白沢の言葉から直接ダメージを受けなければならなかった。
ある意味では、彼女の言う通りなのだ。
だけど――根本のところで、ぼくときみとじゃ見えている世界が違うじゃないか――白沢は自分の人権ゲージが大きいことなど、意識したことがないにちがいない。

「溶け込むのに苦労しないなら、あえて逸脱しようとは思わないよ。他人に話しかけるっていうのは誰でもできることじゃない」
「それって自分を守ってるだけでしょ? 慣れない場所が得意な人なんていないよ。それでも溶け込まないとやっていけないから、ダメージ受けても馴染もうとするんでしょ?」

さっきから、白沢の言葉は過剰なくらい正しかった。
彼女が提示する適応の形。
本来、そうでなくてはならないのだろう。
それでも、ぼくがいくらカリスマ美容師のところに出向いたところで、彼女のように垢抜けられるとは思えなかった。


[連載小説]像に溺れる

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