はい、お疲れ様でございます。
今回取り上げるのは三十三間堂。
1001体の仏像がならぶインパクト大のお写真、見たことある方も多いのではないのかと思います。
目次
三十三間堂の歴史
さてこの三十三間堂、正式名称は「蓮華王院本堂」と申しまして、後白河上皇が平清盛に命じて、清盛が私財を投じて作ったものが最初です。まずは歴史から見てまいりましょう!
(1164)後白河上皇の命で平清盛が法住寺殿(院の離宮)の隣に私財を投じて五重塔などをもつ本格的な寺院として建立
(1183)源義仲、法住寺を襲撃 *蓮華王院本堂は被害を免れる
(1249)火災で焼失
(1251)復興に着手→仏師湛慶が弟子らとともに本尊千手観音像の作製に着手
(1254)本尊完成
(1266)本堂のみが再建→現在の「三十三間堂」
(1586)豊臣秀吉が蓮華王院の北隣に方広寺建立→蓮華王院本堂はその中の「千手堂」に
(1615)大坂夏の陣で豊臣滅亡→天台宗妙法院の管理下に
(江戸時代)通し矢の舞台に
三十三間堂と仏師湛慶
さて、先述の通り1164年に出来上がった蓮華王院、当初は五重塔もある本格的な寺院でした。
当時は朱塗りであったという話もありまして、今に比べてとてもとても派手なつくりでありました。
そのあと、源平合戦における源義仲の襲撃をうけ、本堂のみが被害を免れますが、その後1249年の火災で焼失してしまうことになります。
その2年後に復興に着手、その際活躍したのが仏師湛慶であります。
言わずと知れた運慶の子どもです。
湛慶とその弟子らによってつくられたのが本尊、千手観音像です。
その後、本堂のみが再建され、これが現在の三十三間堂であります。
三十三間堂と豊臣氏
時は下って16世紀、豊臣秀吉が蓮華王院の北隣に方広寺を建立、蓮華王院はその中のお堂の一つ「千手堂」としてその支配下にはいります。
しかし大坂の役ののちに豊臣氏が滅亡しますと、天台宗妙法院の管理下になったという流れです。
江戸時代には南から北に矢を射とおす「通し矢」の舞台としても有名になります。
【みどころ】三十三間堂の見所
本尊千手観音坐像(国宝)
まずは何といっても本尊でしょう。
像の高さは335㎝ですが、光背・蓮華座(台座)を合わせると6m以上ともなる巨大な仏像です。
完成時において湛慶は82歳。
まさに最晩年の大作といえるでしょう。
千体千手観音像(重文)
本尊にたどり着く以前にまず目に入るのがこの大量の仏像軍でしょう。
実際は1001体ございまして、このうち124体が創建当初のもの、876体が鎌倉時代の再興、1体が室町時代のものです。
いろんなお顔の仏様がいまして、この中に今あなたが会いたい人に似た顔があるとかないとか・・・。
【周辺スポット】三十三間堂の周辺スポット
法住寺
歴史のところで後白河法皇の離宮である「法住寺殿」が登場しましたが、これがもとになったお寺が法住寺です。
場所は蓮華王院本堂の真向かい。
988年に、藤原為光(当時の太政大臣)が夫人と娘の菩提を弔ったのが最初といわれ、1161年に後白河法皇が移り住み、院の御所としたといわれております。
【フカボリ】法住寺のあれこれ
法住寺は日本初の女性プロ漫画家である長谷川町子の菩提寺でもあります。
長谷川町子は『サザエさん』『いじわるばあさん』などで知られる漫画家で、戦前に活躍した田河水泡に弟子入りしました。
田河水泡は『のらくろ』で知られていますよね。
また、法住寺は身代わり不動明王像、忠臣蔵の四十七士木像、親鸞聖人そば喰いの御像などのユニークな作品がみられるところでもありますので、ぜひとも訪れたいところです。
法住寺の基本データ
【基本データ】
アクセス:市バス「博物館三十三間堂」バス停下車すぐ/京阪電車「七条」駅下車徒歩7分
拝観料:一般600円/中高生400円/小学生300円
拝観時間:8時30分~17時 (11月16日~3月は9時~16時)
*新型コロナウイルス流行前の情報です。
現在の基本データについては公式HP(http://www.sanjusangendo.jp/)をご確認ください。
三十三間堂についての解説動画
★三十三間堂についての解説動画はコチラから!
『佐京由悠の中学生からの京都の歩き方~修学旅行を100倍楽しむために~』
「三十三間堂」
「三十三間堂 補足編」
〔画像:京都フリー写真素材〕
日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」
「佐京由悠の京都の歩き方」第1回 清水寺編第2回 六波羅蜜寺編第3回 八坂神社編第4回 智積院編
第5回 三十三間堂編