【特集】豊臣秀吉ゆかりのスポット【佐京由悠の京都の歩き方】

はい、お疲れ様でございます。
今日はいつもと違い「特集」という形をとって、特定のテーマで京都を巡っていくスタイルです。

初の「特集」はズバリ、豊臣秀吉

豊臣秀吉ゆかりの地は京都に数多くあります。
今日はそのなかから、「豊国廟」「豊国神社」「方広寺」「耳塚」を取り上げてご案内したいと思います。

【人物】豊臣秀吉

豊臣秀吉(1537~1598)
戦国時代、安土桃山時代を代表する武将。もと木下藤吉郎。
織田信長に仕え、信長が本能寺の変で死亡すると「中国大返し」により京都へ戻り、明智光秀を破る。
さらにその後、柴田勝家をうち、信長の後継としての地位を固める。
関白・太政大臣に就任して「豊臣」の姓を得、全国の大名を臣従させていわゆる「天下統一」を果たす。
太閤検地、刀狩などの政策によって近世の基礎をつくるも、朝鮮出兵の最中に病没。

詳しくはコチラ

 

【スポット】豊臣秀吉ゆかりの地

豊国廟

上で示したように、1598年の2回目の朝鮮出兵の際に豊臣秀吉が亡くなりました。

秀吉はその後、東山阿弥陀ヶ峰というところに埋葬されることとなります。

その中腹に「太閤坦」(たいこうだいら)という平地を造成し、そこに秀吉の墓である「豊国廟」、そして「豊国大明神」(神格化された秀吉の神号=神としての呼び名)を祭る豊国神社が創建されました。

現在は563段(!)の石段の先に石造の五輪塔(仏塔)が残されているのみで、ここにあった豊国神社は家康によって破却されてしまいます。

 

豊国神社・方広寺

そして、家康によって破却され、荒廃していた同神社を明治天皇の命令で再興したのが現在の位置にある豊国神社です。

現在の位置は方広寺大仏殿の境内で、唐門(国宝)は伏見城の遺構とも言われます。
その方広寺ですが、せっかくですので歴史を紐解いてみましょう。

<方広寺の歴史>
1567年、大和の戦国武将松永久秀によって東大寺が焼き討ちされ、これにより大仏殿が焼失します(火を放った人物については諸説あり)。
秀吉はこの東大寺に代わる新しい大仏の造立を発願します。

 

Point(1588)刀狩令

そんな中で出されたのが刀狩令です。

刀狩令は、受験日本史的には太閤検地とともに「兵農分離」を推進した秀吉の政策の一つとして語られます。

そもそも、中世までの「武士」とは「武装した農民」のことでした。
すなわち兵農「未」分離ですね。

秀吉はこれを分離し、農民を武装解除することで直接支配することを企図します。

ただ、農民から無理やり武器を取り上げるにしても理由が必要ですから、「今度大仏御建立の釘、かすかひに仰せ付けらるべし」、すなわち「今回取り上げた武器は捨てるのではなく建立中の大仏に使用するのだ」としたのです。

 

方広寺と方広寺鐘銘事件

さて、1595年には大仏殿を含む広大な方広寺が完成します。
現在の京都国立博物館三十三間堂をも含むほどの広さでした。

ただ、せっかくの大仏、翌年の慶長伏見地震により倒壊します。残念。

秀吉は「お前は自分の身も自分で守れぬのか」と大仏を蹴飛ばした、なんて話も残っています。
なんでもありやな。

ちなみにこの慶長伏見地震、マグニチュード7クラスの大地震でして、東寺天龍寺なども倒壊したことが知られています。

方広寺は、1612年に秀頼により再建されます。しかし、また試練です。

1614年に梵鐘、すなわちお寺の「鐘」が完成するのですが、そこに彫られた銘文を理由に家康は開眼供養(大仏に魂を込める行事)の延期を求めました。

その銘文の一部がコチラ。

「国家安康」「君臣豊楽」

何がいけないのよ、という感じなのですが、よくよくみると「国<家>安<康>」「君<臣豊>楽」。

なるほど!

家康の「家」と「康」がちぎれていて、その代わり「豊臣」がくっついている!
これは家康を呪詛し、豊臣の復活を暗に祈念するものである!

というのです。なんというイチャモン。

というわけで、この方広寺鐘銘事件ののち1614年大坂冬の陣、翌年大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡する、ということになるのです。

ちなみに方広寺に伺いますと、この梵鐘を間近に見ることができますのでぜひとものぞいてみてください。

 

耳塚

朝鮮出兵での戦功の証として持ち帰ったとされる耳・鼻を葬った塚です。

当時は「鼻塚」と呼んでいましたが、幕府に仕えた儒学者、林羅山が「鼻そぎ」は野蛮として「耳塚」と書き改めたという話が残っています。

この耳塚は豊国神社(現在)と方広寺の目の前にありますので、こちらも忘れずにチェックしたいところです。

朝鮮出兵についてはコチラ

 

【基本データ】豊臣秀吉ゆかりの地へのアクセス

【基本データ】
アクセス
・豊国廟――市バス「馬町」バス停下車徒歩9分
・豊国神社/方広寺/耳塚――市バス「博物館・三十三間堂」バス停下車徒歩3分
*新型コロナウイルス流行前の情報です。

 

「特集・豊臣秀吉」についての解説動画

★「特集・豊臣秀吉」についての解説動画はコチラから!
『佐京由悠の中学生からの京都の歩き方~修学旅行を100倍楽しむために~』

次回は「南禅寺」をお届けします!お楽しみに~

〔画像:京都フリー写真素材


「佐京由悠の京都の歩き方」
第1回 清水寺編
第2回 六波羅蜜寺編
第3回 八坂神社編
第4回 智積院編
第5回 三十三間堂編
第6回 【特集】豊臣秀吉ゆかりの地
第7回 南禅寺編

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