はい、お疲れ様でございます。
「京都の歩き方」、今日訪れるのは南禅寺です。
京都のお写真でよく出てくるこの赤レンガ造りの「水路閣」。
こちらでも有名な南禅寺(佐京撮影)。
まずは歴史から見てまいりましょう。
目次
【歴史】南禅寺の歴史
(1264)亀山天皇が大宮院(母)の離宮として禅林寺殿(前身)を造営
(1289)亀山上皇が禅林寺殿で出家→法皇に
(1291)無関普門を開山として迎え、禅林寺殿禅寺を禅寺とし、南禅寺に
(1334)京都五山の第一位→のちに足利義満により京都五山別格に
(1467)応仁の乱でことごとく焼失→以後、復興すすまず
(1605)以心崇伝(金地院崇伝、「黒衣の宰相」)が入寺→復興進む
*
(1888)水路閣完成
13世紀、亀山天皇が母の離宮として南禅寺の前身である禅林寺殿を造営したのが始まりです。
亀山天皇は、南北朝の動乱の南朝の血筋である大覚寺統の祖として知られています。
※南北朝の動乱についてはこちら
さて、譲位して上皇となった亀山は禅林寺で出家し、法皇となります。
その後、無関普門という禅僧を開山として迎え、禅林寺殿を禅寺とし、南禅寺となったのです。
さて、時は下って室町時代、1334年に京都五山の第一位になり、のち足利義満の時代に「別格」に格上げします。
大学受験日本史で南禅寺を習うのはココですね。
※京都五山についてはこちら
Point 南禅寺はなぜ格上げされた?
さて、南禅寺は京都五山の「別格」と習います。
1334年には「一位」となったのに、義満の時代に「別格」としていわば格上げされたのはなぜでしょうか。
そもそも「五山」とは、南宋の官寺の制にならって序列化された京都・鎌倉の臨済宗寺院のことです。
もともとの京都五山は、南禅寺・天龍寺・建仁寺・東福寺・万寿寺でした。
ただ、足利義満が相国寺(詳しくは金閣寺のところでお話しします)というお寺を作った際、これをどうしても京都五山の中に入れたい、ということになり、相国寺を京都五山の第二位として、そしてもともとの二位であった天龍寺が一位、もともとの一位であった南禅寺が別格上位というかたちで「格上げ」されたのです。
完全にオトナの事情ですね(笑)。
*京都五山=南禅寺(別格)・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺
さて、1467年に始まる応仁の乱でことごとく焼失しまして、そのあと復興も思うように進みません。
本格的に復興が進んだのは黒衣の宰相・以心崇伝(金地院崇伝)が入った1605年以降となります。
近代に入りますと、琵琶湖疏水の水道橋である水路閣が1888年に完成します。
【みどころ】南禅寺で見ておきたいスポット
三門(重要文化財)
山門とも。
「三解脱門」の略です。
三つの煩悩から解脱するという意味があります。
仏教では悟りを邪魔する煩悩として特に大きなものを三毒といいます。
三毒=貪(トン)・瞋(ジン)・ 痴(チ)
順に、「貪る→必要以上に欲しがる」「瞋→自分の思うとおりにならないことへの怒り」「痴→真理に対する無知」のことで、この三つの大きな煩悩からの解脱を意味するのが三解脱門ということになります。
三門自体はいろいろなお寺にありますが、南禅寺の現在のものは1628年に藤堂高虎が再建したもので、手続をすれば上にのぼることもできます。
方丈(国宝)
大方丈・小方丈からなります。
方丈前の庭園は小堀遠州の作で「虎の子渡しの庭」といわれます。
「虎の子渡し」とは、虎が3匹の子を連れて川を渡るさまをいいます。
これは中国の説話をもとにしたもので、3匹のうち1匹がヒョウの子であるおそれがあるから、川を渡るときには2人っきりならぬ2匹っきりにならぬようリレー式にしたといわれています。その様子を表現した、とされています。
水路閣
琵琶湖から京都に水を引っ張る琵琶湖疏水の水道橋で、近代になってできたものです。
京都でおすすめのフォトスポットの一つです。
詳しくは次回「特集・琵琶湖疏水~京都の電化事業~」で!
【周辺スポット】南禅寺周辺の見所――金地院・永観堂
金地院
周辺スポット、といいますか、金地院は南禅寺の塔頭の一つで南禅寺の一部です。
洛北にあった南禅寺の塔頭を以心崇伝が南禅寺境内に移転したものなんです。
ですから、以心崇伝のことを金地院崇伝ともいうわけなんですね。
先ほど登場した小堀遠州が作ったの庭園「鶴亀の庭」は特別名勝に指定されているお庭です。
永観堂(禅林寺)
南禅寺の北に位置する、863年に建立された京都有数の紅葉スポット。
中興の祖・永観のときに真言宗から浄土宗に改宗し、この方の名前から「永観堂」と呼ばれています。
「秋は紅葉の永観堂」といわれる紅葉、そしてまた山肌を活かした曲線美である臥龍廊も有名です。
【フカボリ】以心崇伝・小堀遠州
以心崇伝
金地院崇伝とも。
徳川家康の顧問で大名統制の基本法、武家諸法度元和令や、朝廷統制のための禁中並公家諸法度などを起草した「黒衣の宰相」です。
1619年に僧侶を統括する僧録となりました。
武家諸法度についてはこちら
禁中並公家諸法度についてはこちら
小堀遠州
茶人・建築家で、江戸時代になると家康に仕えます。
もともとの名前は政一でしたが、武家官位の「遠江守」とされたことから「遠州」と呼ばれるようになりました。
江戸幕府では作事奉行に任じられ、名古屋城や伏見城、大坂城の工事、金地院の作庭を担当しました。
【基本データ】南禅寺へのアクセス
【アクセス】
市バス「東天王町」バス停下車徒歩10分
「南禅寺永観堂道」バス停下車徒歩10分
地下鉄東西線「蹴上」駅下車徒歩10分
【拝観料】
方丈庭園 一般500円 高校生400円 小中学生300円
三 門 一般500円 高校生400円 小中学生300円
南禅院 一般300円 高校生250円 小中学生150円
【拝観時間】
3月1日~11月30日 8:40~17:00
12月1日~2月28日 8:40~16:30
*新型コロナウイルス流行前の情報です。
南禅寺についての解説動画
★「南禅寺」についての解説動画はコチラから!
『佐京由悠の中学生からの京都の歩き方~修学旅行を100倍楽しむために~』
〔画像:京都フリー写真素材〕
日本史科予備校講師。学びエイド認定鉄人講師。
首都圏の予備校を中心に出講し、その講義は「するする頭に入ってくる」「勉強しなきゃと意識が変わる」「出てきた土地に興味が湧く」と受験生に高い支持を得ている。
授業のコンセプトは「大学に行くのが楽しみになる授業」。
科目の内容はもちろんのこと、丸暗記のみに頼らない本番での知識の導き方・解き方、現場に足を運んで得た知見などをもとに大学に行っても役に立つ「受験科目」を展開。
受験生におくる言葉は「一生勉強、何のこれしき。」
「佐京由悠の京都の歩き方」第1回 清水寺編第2回 六波羅蜜寺編第3回 八坂神社編第4回 智積院編第5回 三十三間堂編第6回 【特集】豊臣秀吉ゆかりの地
第7回 南禅寺編