「自分だけの意味」はいつも“ムダ”のなかで見つかる
対して、スマホやゲームなどのコンテンツが「生きる力を育まない」と考えられているのは、構造化された遊びのなかでも、とりわけ目的に向けたプロセスが合理化される傾向にあるからである。多くのゲームには効率的な攻略法があるし、スマホでアクセスできるプラットフォームは、「あなたに似た人」が見ているコンテンツを次々にレコメンドしてくる。その構造のなかには、象徴化する遊びに見られるような余白がない。
隙間なく構造化されたシステムは、そのシステム自体が逸脱を許容してくれない。非効率なプレイをしていれば、ランクが下がり、得られるアイテムが少なくなり、プレイの幅が狭められていく。そういうシステムのなかでは、過ちはつねに致命的なものとして映る。
しかし現実の人生において、効率の悪い生き方がすぐさま取り返しのつかない事態につながるケースというのは考えにくい。むしろムダに思えるような過ごし方のなかに、何か信じられるようなものがあったりもする。おそらくそれは、その非効率なプロセスのなかにこそ、固有の象徴化された意味が宿るからなのだろう。
なんとなく我々が「キャンプは子どもにとって成長の糧になる」と考えてしまうのは、上のような象徴化された遊びが、体系化されていない空間において生じやすいからである。すこし小高くなった丘、たえず境界を変えていく水辺、それらさまざまな地形を子どもたちは自由に意味づけて遊ぶ。
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大人も同様である。キャンプの本質は不足を補う過程のなかにあるのであって、それは象徴化の運動を必然的に伴う。ワインを持ってきたが栓抜きを忘れてしまった。バーベキュー用の串やらフォークやら、それぞれが異なるツールでもってチャレンジするうち、とらえどころのない連帯感が芽生えはじめ、来るべき英雄を待望する空気がそこはかとなく立ちこめてくる。そのうち見事、あるメンバーが開栓に成功する。彼の勝ち取った尊敬はその場かぎりのものだが、しかしそこで承認された彼の意外な一面は、メンバーたちのうちに固有の意味を残すかもしれない。
コンテンツが飽和する時代に、私たちが資本主義に辟易しながらイメージする「ほんとうの豊かさ」は、このように固有のしかたで生を意味づけていく過程のうちにあるのではないか。私たちの生にとって固有の意味はきっと、ある目的へ向かう直線的な運動のなかにあるのではなくて、迂回がもたらす偶然的な余白のうちにこそ書き込まれる。




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