近代文化①〈美術〉――佐京由悠の日本文化史重要ポイント

お疲れ様でございます。
日本史科の佐京です。

今日からはいよいよ近代の文化に入っていきます。
近代の文化ではいままでのように「時期ごと」に区切ってお話しをするのではなく、「美術」「思想」など分野ごとにお話をしていこうと思います。

今後の流れ:近代文化史テーマ解説
  • 近代美術史
  • 近代文学史
  • 近代思想史
  • 近代演劇史
  • 近代音楽史
  • 現代(「戦後」)文化史概説

というわけで今回は、近代美術史の流れを確認していきましょう。

明治維新を迎え、日本政府は多数のお雇い外国人を迎え、西洋文化の摂取を試みます。
その一方、いや、だからこそ、日本の「伝統」に「回帰」しようとする動きもみられることとなります。

そうした動きを「建築」「絵画(洋画・日本画)」についてみていくことにいたします。

近代の建築

建築の分野では、まずコンドルを取り上げましょう。

コンドル

コンドルは工部美術学校の教師として1877年に来日、辰野金吾や片山東熊などを育てて日本近代建築の父とまで言われました。

代表的な建築物は東京・駿河台にあるニコライ堂と東京・日比谷の鹿鳴館

ニコライ堂は正教会の教会堂で、正式名称は東京復活大聖堂といいます。
ニコライ堂の十字架は八端十字架(eight-pointed cross)といって、正教会でよくみられる形の十字架です。

鹿鳴館は、1940年まで現在の千代田区内幸町1丁目にあったとされる建造物です。
現存はしません。

明治初期に不平等条約改正交渉にあたった外務卿井上馨の発案でつくられたとされています。

辰野金吾・片山東熊

さて、コンドルの育てたのが辰野金吾と片山東熊。

辰野金吾は1879年に工部美術学校を第一期生として卒業後、各地に作品を残していきます。

片山東熊も辰野金吾の「同期」として工部美術学校を卒業、彼は86年に宮内省に入り宮廷建築家となりました。
彼の代表作が赤坂離宮なのも頷けますね。

Point 工部美術学校
工部省の大学寮内につくられた美術学校。
1876年に設立。
殖産興業推進のため、西洋美術教育をおこなう目的で設立されるも、1880年代には伝統美術回帰の風潮や財政難により廃止された。
Point 明治期の建築
  • コンドル
    辰野金吾・片山東熊らを育成したイギリス人建築家
    鹿鳴館(東京日比谷)・ニコライ堂(東京駿河台のギリシア正教の教会堂)
  • 辰野金吾
    日本銀行本店東京駅
  • 片山東熊
    赤坂離宮(現在の迎賓館)・京都国立博物館

さて、時代は移り1914年には辰野金吾がてがけた東京駅が竣工します。
埼玉県深谷市から鉄道で運ばれた赤レンガ造りの歴史ある建物は2003年に重要文化財に指定されています。

フランク=ロイド=ライトの建築による帝国ホテル

1923年にはフランク=ロイド=ライトの建築による帝国ホテル(ライト館)が完成します。

フランク=ロイド=ライトはアメリカの建築家で1905年に来日していました。
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエとならんで近代建築の三大巨匠とされるほか、浮世絵の収集家としても知られています。

1923年といえば関東大震災の年としても知られていますが、ライトが建築したこの建物はこのときの地震にも耐えています。

Point 大正・昭和期の建築
  • (1914)東京駅辰野金吾
  • (1923)旧帝国ホテルフランク=ロイド=ライト
  • (1929)聖橋山田守
  • (1936)国会議事堂(吉武東里ら)

絵画(洋画・日本画)

明治政府は当初、工部美術学校(先述)を開いて西洋美術教育の推進に努めました。

工部美術学校にはフォンタネージ(イタリア/画家)、キヨソネ(イタリア/銅版画家)、ラグーザ(イタリア/彫刻家)、カペレッティ(イタリア/建築家)などが招聘され、浅井忠小山正太郎を輩出します。

伝統美術回帰――フェノロサ・岡倉天心

しかし、1880年代に入ると、フェノロサ岡倉天心などにより伝統美術回帰が叫ばれ、国粋的な風潮もあいまって1883年に廃止に追い込まれます。「国粋的な風潮」と申しましたが、これは2回あとの近代思想史の回で詳しく説明します。

岡倉天心とフェノロサは、日本美術を再「発見」すべく各地に出張し、日本美術の復興に尽力します。
そんななかで1884年、秘仏とされていた法隆寺夢殿救世観音像も調査しました。

岡倉らは西洋美術を除外した東京美術学校設立に尽力し、同学校では狩野芳崖橋本雅邦を輩出します。
岡倉はのちに、その専制的な学校経営を批判され東京美術学校を追放され、1898年に新たに日本美術院を創るにいたります。

Point 明治期の絵画

《洋画》

  • 高橋由一『鮭』『花魁』
  • 浅井忠『収穫』『春畝』
  • 黒田清輝『湖畔』『舞妓』『読書』
  • 青木繁『海の幸』
  • 藤島武二『天平の面影』
  • 和田三造『南風』


《日本画》

  • 狩野芳崖『悲母観音』
  • 横山大観『無我』
  • 菱田春草『落葉』『黒き猫』
  • 下村観山『大原御幸』

    二科会・春陽会

    洋画の分野では1914年になると、文展(文部省美術展覧会)に対抗するために在野勢力としての二科会春陽会がつくられ、美術団体が再編されます。

    二科会の「二科」とは、文展第1部(洋画)の若手たちが文展第2部(洋画)を文展第1部(日本画)と同様に新旧の2科にわけることを求め、これが聞き入れられなかったことに由来しています。

    春陽会は1922年に設立された美術団体で、岸田劉生や自由画教育運動でしられる山本鼎が参加しています。

    Point 文展
    文部省美術展覧会。
    1907年に牧野伸顕(第一次西園寺内閣文相)が創始した。
    伝統美術と西洋美術の共存をはかることを目指したため、日本画と洋画の若手が共通の発表の場をもったこととなる。

     

    日本美術院・院展

    一方、日本画の分野では、1906年に茨城県五浦に移転して活動も下火になっていた日本美術院を、1913年の岡倉天心の死を契機に横山大観らが再興し、官立の文展に対抗して院展(日本美術院展覧会)を発足させます。

    Point 大正・昭和期の絵画

    《洋画》

    • 岸田劉生『麗子微笑』
    • 梅原龍三郎『紫禁城』『北京秋天』
    • 安井曽太郎『金蓉』
    • 中村彜『エロシェンコ氏の像』
    • 竹久夢二『黒船屋』


    《日本画》

    • 安田靫彦『風神雷神』
    • 竹内栖鳳『アレ夕立に』『斑猫』
    • 上村松園『序の舞』
    • 鏑木清方『三遊亭円朝像』『築地明石町』

    今日は主に美術の流れを概観しました。実際の作品や作風は、写真資料を見て印象付けながら学習してくださいね。

    ▼近代文化(美術)について詳しくはコチラ

    広告

    ※本記事はプロモーションを含む場合があります。

    この記事が気に入ったら
    フォローしよう

    最新情報をお届けします

    Twitterでフォローしよう

    おすすめの記事