鎌倉文化(後編)――佐京由悠の日本文化史重要ポイント

受験生の皆様、お疲れ様でございます。
日本史科の佐京でございます。
今回は鎌倉文化の後編です。

前回の記事では、主に鎌倉仏教の概要についてお話しました。

今回はその続き、つまり鎌倉仏教の成立をうけて旧仏教(奈良仏教)はどう対応したか、そして仏教以外の美術などを中心にみていこうと思います。

鎌倉仏教に対する旧仏教の対応


前回お伝えしたように、鎌倉仏教の特徴は「易行・選択・専修」。

なかでも法然・親鸞の浄土宗・浄土真宗は戒律も知る必要はないと言い切ります。
法相宗や華厳宗などの旧仏教はこれに対し、戒律の復興や法然批判、社会事業に努めるなどの反応をすることとなります。

《Point 旧仏教の革新》
①法相宗 貞慶(解脱):法相宗中興 興福寺から笠置寺に移る
②華厳宗 高弁(明恵):華厳宗中興 栂尾に高山寺再興
③律宗  叡尊(思円):西大寺中興 忍性(良観):叡尊の弟子

 

法相宗

まず法相宗からまいりましょう。

法相宗の代表的寺院は?
……そう、興福寺ですよね。

ですから、彼は『興福寺奏状』で法然の専修念仏を批判します。
念仏だけしてたらええってなんやねんと。

これがきっかけで法然が配流されることになります(承元の法難)。

 

華厳宗

つづいて華厳宗。華厳宗の代表的寺院は?

……そう、東大寺。

あとで建築のところで出てくる東大寺南大門の写真をお手元の資料集で必ずご覧になってみてください。
「大華厳寺」って書いてますから。

さて、この華厳宗からは高弁(明恵)が登場します。
かれは『摧邪輪』で法然をはげしく批判し、こちらも戒律復興に努めます。

それから高弁(明恵)は栄西と親交があったことも知られています。
栄西が持ち帰った茶樹の種をもらい栂尾の高山寺の周りにまき、茶の産地としました。

このときのお茶がのちの宇治茶の原型です。
*栂尾茶についてはコチラ

 

律宗

律宗からは叡尊(思円)、そしてその弟子の忍性(良観)です。

彼らは社会事業に尽くし、叡尊は架橋など、忍性は北山十八間戸というハンセン病患者救済施設を作りました。

 

鎌倉文化の美術


では、今度は鎌倉時代の美術を見ていきましょう。まずは建築です。
建築の分野では、大仏様・禅宗様・和様・折衷様がみられます。

《Point 旧仏教の革新》
大仏様鎌倉初期、東大寺再建の際に重源が中国南部から導入したもの
禅宗様禅宗とともに渡来した建築様式で、急勾配の屋根・花頭窓などを特色とする
和様奈良時代・平安時代以来の様式
折衷様(新和様): 和様に禅宗様などを取り入れたもの

 

大仏様

「だいぶつさま」ではなく「だいぶつよう」です。

1180年の平重衡による南都焼き討ちを受け、鎌倉時代には東大寺大勧進職であった重源が、宋の工人である陳和卿の協力を得て東大寺の再建にあたったわけですが、その際に採用された方式です。

部材に統一基準を用いることで、短期間で効率的に建造することができるのが特徴で、代表例は東大寺南大門や浄土寺浄土堂(播磨国)です。

《Point 勧進》
寺院や仏像の建立・修復などのため、僧侶が寄付をつのること。

 

禅宗様

禅宗様は禅宗の寺院に用いられることの多い建築様式。

細かな部材を用いて整然とした美しさを表現するのが特徴で、代表例は円覚寺舎利殿です。
*現在の舎利殿は16世紀に焼亡後、別の寺院から移築されたもの

 

和様

和様は大仏様、禅宗様が伝わる以前の建築様式で、ゆるやかな屋根の勾配が特徴です。
蓮華王院本堂(三十三間堂)や石山寺多宝塔が有名です。

*三十三間堂についてはコチラ


 

折衷様

最後は折衷様です。

折衷というくらいですから、従来の和様に禅宗様・大仏様の細部技法を取り入れたもの。
代表例は観心寺金堂です。

観心寺金堂といえば、そう、観心寺如意輪観音像が本尊です。

覚えてますでしょうか。
以前この記事でも扱ったので、復習してくださいね。

*観心寺如意輪観音像についてはコチラ

 

鎌倉文化の彫刻


鎌倉文化の代表的な彫刻も見ておきましょうね。

 

鎌倉文化の仏像彫刻

鎌倉時代の仏像彫刻は、慶派の活躍写実性寄木造による分業の3点が特徴です。

《Point 仏像彫刻》
東大寺南大門金剛力士像
興福寺北円堂無著・世親像
興福寺天灯鬼・竜灯鬼像
東大寺僧形八幡神像

 

東大寺南大門金剛力士像

東大寺南大門金剛力士像は、東大寺南大門の両脇に立つ仁王像です。

運慶・快慶・定覚・湛慶らの合作で、寄木造により(1203)69日で完成。
8mを超える像高、重さ実に7t。

これを2か月ちょっとでつくるのが慶派、そして寄木造です。

ちなみに以前一木造ってやりました。
不安な方は弘仁・貞観文化の記事でも確認してみてくださいね。
*一木造についてはコチラ

 

興福寺北円堂無著・世親像

興福寺北円堂無著・世親像は運慶らの合作。

無著・世親は5世紀ころインドのガンダーラ地方に生まれた兄弟で、法相宗の祖師とされています。

なるほど、興福寺は法相宗ですからね。
ちなみに荷物を持っている方がお兄さんの無著です。

 

興福寺天灯鬼・竜灯鬼像

同じく興福寺からちょっとコミカルな彫刻、天灯鬼・竜灯鬼です。
こちらは運慶の子、康弁らの作。

かわいい。ユーモラス。
鬼を彫っているのに怖い感じが一切ない。
肩や頭に載っているのが灯篭です。
ベッドルームや玄関に欲しいですね。

 

東大寺僧形八幡神像

東大寺「僧形」「八幡神」像です。

八幡神なのに、「僧」のカタチ。
これがまさに神仏習合の具体化ですね。

*神仏習合についてはコチラ

 

鎌倉文化の肖像彫刻

次は肖像彫刻とその他の彫刻を見ていきましょう。

《Point 肖像彫刻》
六波羅蜜寺空也上人像
東大寺重源上人像

《Point その他》
鎌倉高徳院阿弥陀如来像(「鎌倉大仏」)

 

六波羅蜜寺空也上人像

もう超有名彫刻ですね。
六波羅蜜寺の空也上人像は康勝の作。

10世紀に活躍し、六波羅蜜寺の前身、西光寺を建立した空也の像です。

空也は浄土教の流行に伴い念仏を広めたことでも知られていて、彼の唱える「南無阿弥陀仏」の6文字、その1文字1文字が仏の姿となって口から出ていく様子を彫刻にしたものです。

これ、六波羅蜜寺の宝物館で、間近で見られます。マジかってね。

ガラスに手をつけないように、でもソーシャルディスタンスもびっくりするような至近距離で見てみてください。
特に6体の小さな仏をどうやって表現しているのか。市聖と呼ばれた僧の慈悲のオーラに触れてきてください。

六波羅蜜寺についてはコチラ

浄土教についてはコチラ

しゃべりすぎました。次に行きましょう。

 

東大寺重源上人像

東大寺の重源像です。

生涯に3度も入宋した、先ほども登場した東大寺大勧進職のお坊さんです。
東大寺の俊乗堂というところに安置されています。

この重源上人像、結構リアルな像で、鎌倉時代の彫刻が「写実性」を重視したことが頷けます。

 

鎌倉高徳院阿弥陀如来像(「鎌倉大仏」)

いわゆる「鎌倉大仏」です。
大仏殿はありましたが、1498年の地震・津波で倒れ、それ以降は雨ざらしです。

横から見るとわかるのですが、少し猫背気味なんですよね。
これも特徴の一つです。

像高は11.39m。
東大寺の大仏が14.98mですから、比べると少し小さめですが、それでも近くで見ると迫力ありますよ。

*鎌倉文化について詳しくはコチラ


「佐京由悠の日本文化史重要ポイント」
第1回 初の仏教文化、飛鳥文化
第2回 国家仏教の形成と白鳳文化
第3回 鎮護国家思想と天平文化
第4回 弘仁・貞観文化
第5回 国風文化(前編)
第6回 国風文化(後編)
第7回 院政期の文化
第8回 鎌倉文化(前編)
第9回 鎌倉文化(後編)

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