江戸時代の学問・思想[後編]――佐京由悠の日本文化史重要ポイント

今回は前回に引き続き、江戸時代の学問・思想を概観していきましょう。
★前回の記事はコチラ

前回の儒学の流れをふまえ、ここでは儒学以外の学問を元禄文化から見てまいりましょう。

元禄文化

儒教的徳治主義による文治政治の時期です。
政治的には儒学、特に朱子学が重視された時期ですが、その現実的な考え方は他の学問にも影響を与えていきました。

歴史学

まずは歴史学。
水戸藩の徳川光圀の命で編纂されたのが『大日本史』です。

紀伝体・漢文で「神武天皇」から、100代目となる後小松天皇に至る歴史を叙述したものです。
この『大日本史』、編纂開始は1657年なのですが、なんと完成は1906年!近代に入ってからです。

朱子学の大義名分論を基調とし、またその編纂過程で水戸学が形成されていきました。
編纂が行われたのは江戸の水戸藩邸にある「彰考館」。水戸藩校の「弘道館」と間違えないようにいたしましょう!

次は本草学です。
本草学は植物・動物・鉱物などの薬用効果について研究する学問ですが、のちに対象をより広げて博物学的性格をもつようになります。
元禄期には『大和本草』貝原益軒『庶物類纂』稲生若水がでます。

朱子学者の貝原益軒が本草学についての『大和本草』を、そして同じく朱子学者の新井白石が歴史学についての『読史余論』を著わしたという知識によって、儒学の現実的・合理的な考え方が他学問に影響を与えたということが納得できますね。

古典研究

次に古典研究。

先ほども登場した徳川光圀が、『万葉集』の注釈を依頼したのが下河辺長流という人です。彼は病のためにその作業を進めることができず、そのプロジェクトを契沖に引き継ぎます。

そうして完成したのが『万葉代匠記』です。

また、5代将軍徳川綱吉の時に設置された歌学方には北村季吟が登用され、『源氏物語湖月抄』『土佐日記抄』などの注釈書を著しました。

また戸田茂睡は歌学の革新を主張し、古今伝授(後述)・制の詞(歌に用いてはならない言葉)などの制約を排し、自由な研究を主張しました。

古今伝授とは、『古今和歌集』の故実・解釈を秘事として弟子に口伝することで、室町時代に東常縁が宗祇に行って以来、近世まで行われていた手法で、戸田はこれを権威主義的であるとして批判したわけです。

この時期の諸学問はほかに、和算の吉田光由関孝和、暦学の安井算哲(渋川春海)も確認しておきましょう。

 

宝暦・天明期~化政期

国学の発達

元禄時代の最後に登場した古典研究は、この時期、国学として発達していきます。

荷田春満は先ほど登場した契沖に学んだ京都伏見の神官です。かれは8代将軍徳川吉宗に対して国学の学校を創設することを建言する『創学校啓』を著します。

ちなみに伏見稲荷大社の境内に隣接して「東丸神社(あずままろじんじゃ)」があり、この神社は荷田春満をまつっています。

▼伏見稲荷大社についてはコチラ

 

Point 国学者の系譜
荷田春満―賀茂真淵―本居宣長―平田篤胤―生田万

 

荷田の門人、賀茂真淵『国意考』『万葉考』を著しました。

国意とは、仏教や儒教などの外来思想を排し、最後にのこった「日本古来」の思想のこと。
国学はこれを『古事記』『日本書紀』などのテクストを用いて追究していくのです。

その賀茂真淵の門人である本居宣長は伊勢松坂出身の医者でした。
もともと木綿問屋の家に生まれますが、商売に不向きな性格であるとして医学の修行を京都で行い、さらに賀茂真淵との出会いから国学を志します。

平田篤胤は上のPointでは本居宣長の門人のような書き方をしていますが、正確には「没後の門人」です。
なんだそりゃ、という話なのですが、どうやら宣長の死後、彼の著作に出会った平田篤胤はその夢のなかで入門を許可されたのだとか。

最後に生田万を載せていますが、これは大塩平八郎の乱に呼応して越後柏崎で桑名藩の陣屋を襲撃した人物です。「大塩門弟」として乱を起こしますが、大塩は陽明学者、生田万は平田篤胤門下の国学者です。

 

洋学

次は洋学を見てみましょう。

キリシタン禁制以前は蛮学、いわゆる「鎖国」期には蘭学、幕末期に近づくと洋学と呼ばれます。

洋学の源流としては、長崎で見聞した海外事情を『華夷通商考』として著わした西川如見、イタリア人宣教師シドッチへの尋問で得た知識を『西洋紀聞』に著わした新井白石、徳川吉宗の命でオランダ語を研究した青木昆陽などがあげられます。

18世紀も後半になるドイツ人クルムスの『解剖図譜』の蘭訳『ターヘル=アナトミア』前野良沢杉田玄白などによって『解体新書』として日本語に訳されます。
杉田がこのときの苦心談としてしたためた『蘭学事始』もあわせて押さえておきましょう。

「事始」というタイトルから入門書と誤解されることがありますが、蘭学の入門書は杉田玄白・前野良沢に学んだ大槻玄沢『蘭学階梯』

「階梯」とは階段・はしごという意味です。

さらに時代が下ると長崎のオランダ通詞(通訳)であった本木良永がコペルニクスの地動説を紹介した『太陽窮理了解』、さらに本木に学んだ志筑忠雄『暦象新書』などがでます。

志筑忠雄はドイツ人ケンペルの『日本誌』の抄訳をし、その中で「鎖国」という言葉を初めて用いたことでも知られています。

Point はじめての「鎖国」
ドイツ人医師、エンゲルト・ケンペル(1651-1716)の『日本誌』の掲載論文(「日本国において自国人の出国・外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」)を、1801年に志筑忠雄が(元のタイトルが長すぎるのもあって)「鎖国論」と抄訳したのが「鎖国」の初出である。

 

洋学についてはさらに、全国を歩いて測量し『大日本沿海輿地全図』を1821年に完成させた伊能忠敬、博物学者・戯作者・洋風画家などさまざまな顔をもつ平賀源内、大坂に適塾を開いた緒方洪庵などを押さえておきましょう。

 

その他の諸学問

最後に、それ以外の諸学問の発展を概観していきましょう。

オランダを中心とした西洋医学に対して、漢方医学への復古を強調したのが古医方という一派です。
方は「漢方」の方ですから注意が必要です。

山脇東洋はそのなかで初の実証的解剖書である『蔵志』を著しました。

大坂には町人出資の学塾である懐徳堂がつくられ、富永仲基山片蟠桃を輩出しました。
富永は、仏教思想は釈迦の教えそのものではなく歴史的に形成されてきたものという解釈を『出定後語』という著作で主張しました。

彼のこの考えは「加上」といい、ある思想はその前の思想の上をいこうとして新しい説を唱え、それが歴史的に積み重なることをいいます。
『出定後語』はこれを仏教思想に適用したものです。

また山片蟠桃はその名の通り豪商升屋の「番頭」であり、『夢の代』で無神論を唱え、合理主義に徹した主張を行いました。

安藤昌益は「忘れられた思想家」(ハーバード・ノーマン)と称されたことで知られています。

安藤は江戸時代の身分制度は武士が農民を一方的に搾取するものであるとしてこれを批判しました。
そのうえで万人直耕の「自然世」を理想として『自然真営道』『統道真伝』を著しました。

『自然真営道』は関東大震災による火災のためほんの一部しか現存していません。

最後に儒・仏・神の諸説をとりいれて町人道徳を平易に説いた心学を紹介しましょう。

石田梅岩は1729年より京都で心学を広め、『都鄙問答』で四民(士農工商)の平等を説き、商業への理解を示しました。

その弟子の手島堵庵によって心学の道場である心学講舎が各地に建設されていきました。

 

おわりに


今回は江戸時代の学問、特に儒学以外のものをご紹介しました。

本記事で流れと概要をつかんだら、早速ご自身のテキストやノート、そして問題集で知識の定着をはかりましょう。

▼今回紹介できなかったものもありますので、より詳しく学びたい方はコチラをどうぞ!


次回からはいよいよ近代の文化に入っていきます。それでは今日はこの辺で!


「佐京由悠の日本文化史重要ポイント」
第1回 初の仏教文化、飛鳥文化
第2回 国家仏教の形成と白鳳文化
第3回 鎮護国家思想と天平文化
第4回 弘仁・貞観文化
第5回 国風文化(前編)
第6回 国風文化(後編)
第7回 院政期の文化
第8回 鎌倉文化(前編)
第9回 鎌倉文化(後編)
第10回 室町文化(前編)
第11回 室町文化(後編)
第12回 桃山文化
第13回 寛永期の文化
第14回 元禄文化
第15回 宝暦・天明期の文化
第16回 化政文化
第17回 江戸時代の学問・思想[前編]
第18回 江戸時代の学問・思想[後編]

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