#102 3-14D――像に溺れる【第5章】

「福永という人を知りませんか?」

ワークの途中、ぼくにヒマワリの折り方を教えにきた年配の女性に対し、ぼくはそう切り出した。
その質問にはぼくの持ちうる最大限の勇気が込められていたけれども、女性は少し間を置いて、「わからないわ、ごめんなさいね」と呆気なく答えた。
間の抜けたような時間のあとで、ぼくの手元には歪な花弁のヒマワリが残されていた。

ワークの後、祈りの時間を終えると、講堂から出たところで背後から声をかけられた。
ヤナガワサンからパパ候補と呼ばれていた男性だった。

「また会えると確信していたよ。大願さまの救いの道を、君はもう歩みはじめている」
こちらに向けられる底の知れない瞳は、ぼくの自我を丸ごと飲み込んでしまいそうだ。
心のなかの空虚がじっと覗き込まれ、そのうちなにか粘性の、ひどく淀んだ色の花を咲かせる種子が植え付けられていくような感覚がある。

「ヤナガワサンは、今どうしているんですか」
「同じ道は二つとない。彼女は彼女として、課せられた業と向き合わなければならない。君もまた、君自身の道を見失ってはならない」

あからさまに話を逸らされているのに、彼の声には有無を言わさぬ圧が込められていて、ぼくの血液は気圧で重たく滞る。
その重みは罪に似ていて、いつのまにかぼくの皮膚には得体の知れない負い目がまとわりついていた。
臆するぼくを見透かしたように、彼は一歩迫って言葉を続ける。

「近いうち、君には多くの転機が訪れる。君はその都度、導きに正しく従わなければならない。けれども心配する必要はない。君の決断は、いつもすでに導かれたものだから」

そう言って、彼はぼくに一枚のパンフレットを差し出した。
「合同光浴会のお知らせ」と題された白黒の紙には、一泊二日の宿泊行事の概要と、タイムスケジュールが記載されている。
ポップな字体に、少し身体の力が緩んだ。

「これもまた、君にとっての転機だ。君はすでに岐路に立っている」
「そもそも、親が許可しません」
「心配には及ばない。君はただ決断すればいい。然るべき時に、然るべき形で道は開かれる」
彼は意味深げに微笑むと、突然ぼくへの興味を失ったみたいに背を向けて、そのままゆっくりと立ち去ってしまった。

翌日の夜、リビングにいる母からメッセージが届いた。
――今、10日の件で片桐君のお母さんから電話がありました。今回はもう決まったことなので仕方がないですが、大事な予定は先に言っておいて。失礼のないように。お土産は用意しておきます。

まったく心当たりのない内容に、思考がしばしストップする。
クラスに片桐という男子はいるが、これまで接点を持ったことなどほとんどなかった。
ただ、その日が宿泊行事の初日であることから、否が応でもあの男の顔が浮かぶ。

とはいえ事態をうまく整理できず、しかし母親に詳細を確認することも憚られる。
当然片桐の連絡先など知らなかった。

誰かの真意を知ろうとすることが億劫になり、ぼくはその行事に参加せざるを得ない気持ちになっていた。
いっそ流れに身を任せてしまった方が楽だったし、むしろそこに潜り込んでしまった方が、具体的な情報が得られるかもしれない。

当日、ぼくはリビングに置かれたゼリーの詰め合わせを持って、教団の施設に向かった。
記載された集合場所にはすでに三台の大型バスが停車し、参加者たちは次々に乗り込んでいる。
それは一見、そこらのバスツアーの光景と何ら変わるところがなかった。

周囲に片桐の姿を探しつつ、本当のところぼくが探しているのはヤナガワサンの姿だった。
しかし結局、ぼくはそのどちらも見つけることができなかった。
ほどなく誘導役の一人がぼくの姿を認め、ぼくの顔と手元のリストを見比べたあと、小さな紙片を手渡してくる。
切符ほどの厚紙に、太いゴシック体で「3号車 14D」と記載されていた。

バスに乗り込むと、車内はすでに和気藹々としたムードに包まれ、みな近接する席どうしで会話を楽しんでいる。
それは異様な光景であり、ひとり窓の外を眺めているような人物は一切見受けられない。
通路を進むだけで無数の挨拶が飛んできて、ぼくは軽いめまいを感じながら指定の席についたのだった。


[連載小説]像に溺れる

第1
第2
第3
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—
第4
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—2
第5

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