#103 Re:――像に溺れる【第5章】

ぼくが席についてまもなく、隣に座ったのは同年代と思しき細身の男子だった。
「はじめまして、小柳といいます」
その表情は他の参加者と同様に柔和で、けれども同時に、その笑顔にはどこか暗い影が差し込んでいるようにも見えた。
それから、互いが同じ学年であることを知り、小柳はいっそう打ち解けた表情を見せた。

「君も親御さんと一緒に来たの?」
共感の色を満面に浮かべ小柳は言った。
「いや、一人で来たんだ。成り行きというか……」
「自分で興味を持ったっていうこと? すごいね、同年代でそういう人ははじめて見る」
興味と言えば、興味に違いなかった。
けれどもこの場において明らかに邪な自身の興味の内実を、彼に開示するわけには当然いかない。
「宗教に、興味があって……」
「へぇ、すごい。ここのことはどうやって知ったの?」
「それは……知り合いが、ここに通っていて」
「そうなんだ。なんていう人?」
まっすぐな目を向けられ、ぼくは答えに窮する。

不自然な間が生じ、どうにか「もうここにはいないんだ」と返す。
彼はぼくの様子から何かを悟ったように、少し思案し、声をひそめて耳打ちするように言った。
「ぼくも、近いうちにここから抜け出したいんだ。皆いい人たちだし、父も母も、昔に比べてずっと表情が穏やかになった。だけど、将来の自由がないんだ」
「進路を決められているってこと?」
「はっきりこれと決められているわけじゃないけれど……ぼくは大学で心理学を勉強したいんだ。でも、世人の心の動きなんて堕落したものを学んでもしょうがないって。もっと崇高なものを学びなさいって言われて……」
「それは確かに、納得できないね」
そう言いながら、ぼくは小柳の話に実のある共感をできずにいた。
同い年の小柳がすでに学びたい分野を決めていることも、それが親の都合によって実現できないことも、ぼくの環境からは想像することもできなかった。

「それもあって、最近どんどん親への疑問が膨らんでいって。考えてみれば昔から、漫画やアニメも見せてもらえなかったし、本も許可されたものしか読めなかった。急に自分が、とても狭い世界で生きてきたような気がしてきたんだ」
「それはよくわかる。親が作った枠の中から出られない感じがする」
ぼくの共感に、小柳は再び顔をほころばせた。
ぼくの方でも、その小柳の表情に対し、屈託のない友愛の情を抱かずにはいなかった。
それからぼくたちは、自身が生きる世界の狭さについて、あるいは自立することの意味について、小さな声でしかし胸を高鳴らせながら語り合った。

バスはすでに高速を降り、狭い山道を重々しく上り出していた。
ぼくらは自分たちが置かれた環境から脱出する方策について話し込むうち、いささか感傷的になりはじめていた。
「全部リセットできたらって、たまに考えるんだ。別に、新しい環境でやり直したいわけじゃないんだけど。社会とか学校とか家族とか、そういう関係の形みたいなものが一旦全部なくなって……それで、新しくなった世界には、ぼく自身はいなくても構わない」
カーブに揺られながら、小柳は夢想するように語った。
「ぼくも似たことを考える。自分にこびり付いている呪いみたいな固定観念を、ごっそり取り払ってしまいたい。でも、自分がいなくてもいいっていうのはわからないな」
「なんだろう、静止した世界をミニチュア模型にして眺めていたいというか……ぼくは臆病だから、リセットしたとしても今ある世界が完全になくなるのはイヤなんだ。昔、一度だけ友達の家でゲームをしたことがあるんだけど、最後にデータをセーブするときに、『もう二度とこの世界に触れることはないんだな』って寂しい気持ちになった。だけど、その世界は動かないまま、消えることもなく、再び起動されるのを待っているんじゃないかなって」

気づくとバスは駐車場に入り、乗客は降りる準備をしはじめていた。
小柳が伝えようとしていることをうまく把握できないまま、ぼくはもどかしい気持ちでバスを降りた。


[連載小説]像に溺れる

第1
第2
第3
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—
第4
 ANOTHER STORY —ヤナガワ—2
第5

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